2023年12月25日月曜日

MERRY CHRISTMAS

 今日は久しぶりに行きつけの歯医者さんに行きました。受付には美しい樅木をイメージした絵模様とともに、MERRY CHRISTMASの英文字が一際目立っていました。よく見ると、右側には、何やら英文が記されていました。大要次のような内容でした。

 悲しんだり怒ったりするのはやめましょう。微笑みと笑いに満たされましょう。だってサンタ・クロースがもうすぐやって来るんだから。世界中のすべての人がしあわせになるに違いありません。老いも若きもみんな同じ気持ちになれます。サンタ・クロースはすぐに来ます。

 まさしく、サンタさんのプレゼントを待ち焦がれ、ひとりのこどもは今まさにそのプレゼントを受けようとしています。満面に笑みを浮かべています。ちょうど今からほぼ40年前のワンシーンです。サンタに扮しているのは教会の牧師さんです。


 それからほぼ20年、上の写真は、幼稚園の会場を借りての、2005年子どもクリスマス会の写真です。子どもたちの前に立っているのはそれぞれ劇を演じた人々です。真ん中にヨセフ・マリヤ夫妻がいて、マリヤが赤ちゃんのイエス様を抱いています。そしてそのまわりに天使たちがいます。まさにクリスマスの再現です。照明が暗いのが残念ですが、みなさんが一体となってクリスマスを祝っています。


 そして、この写真が40年後の子どもクリスマス会、この23日に行なわれたクリスマス会の写真です。ZOOMでも見られるので、私はZOOMで参加し、家にいながら写真を撮りました。ちょうど、このときは子どもたちがハンドベルでクリスマスソングを披露していました。そのうち、やはり現場に行かなければと、急いで参加し、劇『舌切り雀』などを鑑賞し、主イエス様の御降誕の意味を味わうことができました。もちろん参加した人々はこどもだけでなく大人もふくめてプレゼントをもらってしあわせな気持ちに会場を散ずることができました。

 さて、クリスマスってどのように過ごせばいいのでしょう。スポルジョンは次のように語っています。大いに耳を傾け、主なる神様が、人類にくださった最大のプレゼント・イエス様をよりよく知りたいものです。

きょうベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝せる博士らとともに、ユダヤ人の王として生まれたまいしかたにお会いしようではないか。それは私たちが信仰により彼にあって富を求め、「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた」と歌い得るがためである。イエスは受肉されたエホバであり、われらの主、われらの神であり、さらにわれらの長兄であり友である。私たちは彼をあがめ、ほめたたえようではないか。

まず注意したいことは、彼が奇跡によって身ごもられたことであり他に例がない。すなわちおとめが身ごもって男の子を産んだというのである。最初の約束は「女のすえ」であり、男のすえではなかった。はじめに女が楽園喪失の罪を招いたため、今は女が楽園の回復者を迎え入れたのである。私たちの救い主は真に人であられたが、同時に神の御子であられた。聖なる幼な子の前にうやうやしく頭を下げようではないか。彼はその罪なきことによって、人間の喪失したいにしえの栄光を回復された。私たちは彼が私たちのうちに栄光の望みとなられるように祈ろうではないか。

また彼の両親がいやしき身分であったことを見落としてはならぬ。彼の母は「おとめ」と記されているのみで、女王とも女預言者とも、大金持ちの主婦であったとも記されてはいない。いかにも彼女の血管には王族の血が流れていた。また愚かな教育なき女でもなかった。なぜなら彼女は実に巧みに神をほめる歌を歌うことができたからである。しかし彼女の地位はなんとみすぼらしく、その婚約者はなんと貧しく、新しき王の誕生のための設備はなんと貧弱であったことか。

インマヌエルーー神は私たちの性格の中に、悲哀の中に、生涯の事業の中に、受くべき懲罰の中に、また私たちの墓の中に共にいまし、現在も私たちと共にいたもう。否、私たちは、復活に、昇天に、勝利に、そして輝かしき再臨において彼と共にいるのである。

(『朝ごとに』C.H.スポルジョン著360頁より引用)

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(新約聖書 ルカの福音書2章11節)

「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む、その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(新約聖書 マタイの福音書1章23節)

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