2009年10月25日日曜日

神を忘れるな クララ 


 「神を忘れるな!」(申命記6・12参照)

 春の静かな野辺を行く時、神がともに在すと無風状態を楽しみつつ足どりは軽い。しかし野分きの風が吹きまくる日、紅葉は風に乗って散り飛ぶ日、空のかなたから「神なき者となるなかれ」と厳粛な声が響いて来る。

 申命記において、モーセは懇ろに、主こそ神にいましほかに神のない事・・・そうすれば、あなたとあなたの後の子孫はさいわいを得ると、約束されています。しかるに木枯しが身をさく冬の夜、あるいは激論に話がもつれる時「神なき者となるなかれ」と力強いみ声が響いて来ます。なんと厳かでしょう。外見神なきがごとき感情の嵐、激論の怒涛の中にある時も、「神なき者となるなかれ」と響くのです。これは人世への神の恵みです。

 心の王座も転倒するような時、静かに神を待て。激情が泡立つ日に愚かにも、危険にも神をその中から除き去って私情にまける私たちは、しばしばかくして神なき姿となり、ハッとする時、聖なる声は「神なき者となるなかれ」と後辺に語られるのです。歴史を通して後辺に語り給う愛のみ父よ、わが仕える万軍の主は生きて在す。混乱の中を一歩退き、真実なる神はいと近く在す。「神なき者となるなかれ」おぞましき嵐の中をぬけ出でよ。

 歴史に輝く人々は、神と共に歩みし人、エノクは雑然たる大家族のうちにあって、神なき者となるなかれの実行者、また成功者でした。個人としてヨセフがあらゆる出来事の中に、神と共に在って後日の栄えある職掌のために準備されたのです。ダビデの変転たる生涯、羊飼いをふり出しに、猛獣におそわれ、ゴリアテを征服し、王の婿となり、王となり、王の敵とねらわれ、奇異変転を通過した時、神なき者とは決してならない。この世の何れをも間違いなく計る一定の羅針盤で、行く道をはかった。すなわち「神なき者となるなかれ」と言う事、これに聞き従うことであって、己が身をかばうことをしなかった。世の中に何が哀れだと言って、神なき姿ほどあわれなものはありません。

 昔キング・アルフレッドが森の道を散策し、遊んでいた子供たちを呼びよせ、ご自分のポケットから数種類のものを取り出し「子供たちよ、このメダルは何の王国に属していますか当ててごらんなさい」と言われました。すると一人のボーイが「それは金属の王国に属しています」と答えました。王は満足げにそれでよいと答え、次に小さい花を取って、これは?と聞かれると、一人がそれは植物の王国に属しますと答え、王に喜ばれました。さて最後に王はご自分を指して「私は何の王国に属すか」と言われた時一人の可愛い少女が「あなたは天の王国に属します」と答え、王の言い方ないご満足を得たとの話があります。私たちもまた天の王国の民として方向を間違わず、神を忘れる事のないように・・・神なき者となるなかれ、信仰を大切に、どんな小さな不信仰もさけましょう。

 かくて神の王国の民でありますように!

(文章は『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著302頁からの引用。写真は西南ドイツ・フィリンゲンVillingen近くの小川 2005年10月23日撮影。)

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