2009年10月29日木曜日

「悠々自適」と私


 「悠々自適」という言葉がある。世事から離れた人の心境を言うらしい。手元の広辞苑には「俗世を離れ、何ものにも、束縛されず、おのが欲するままに心静かに生活すること」とある。リタイアの生活に入った者なら誰しも、あの入り組んだわずらわしい人間関係から解放されてほっとする時があるかもしれない。

 しかし、自らを顧みるとき、ふっと「悠々自適」とは程遠いと思わざるを得ない。第一俗世を離れることなどできようもない。むしろ、ヨブが言った言葉の方が実感がこもる。「女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです。」(旧約聖書 ヨブ記14・1)

 昨日は国会内で初めて野党側の代表質問とそれに対する首相の答弁がなされた。各新聞とも一様に討論が論戦となっていないことを指摘している。予算編成まで固唾を飲んで成り行きを見守るわれわれ国民にとっても、とても心の休まる暇はない。

 かつてフランス首相に「トランジスターのセールスマン」と揶揄された池田首相が所得倍増を打ち出し、政治の前面に「寛容と忍耐」を打ち出した時、私は高校生だったが、政治に斬新さを感じた記憶がある。その後確かに経済的に豊かになり、老後の年金生活で大いに余生を楽しもうとされる老人を目の当たりにしてその生活に憧れたこともある。

 あれから半世紀、冷戦こそ終了したが、世界各国の不況、全地球的な環境の悪化、よほどおめでたい人でない限り、悠々自適の余生を送れるなんて言えなくなった。加えて倫理道徳の腐敗はとどまることを知らない。各種の猟奇事件はそれと無関係ではないのでないか。

 副田氏の本を読んだ後、今度は澤村五郎氏(故人)の「大いなる救」(1968年刊行)を読んでいる。明治20年生まれで昭和52年に亡くなっている氏の論調に、何も知らず過してしまった私の中学・高校時代の世相(それはあの『太陽の季節』が話題を呼んだ時代だった)が断罪されているのを見て驚いた。

あるおかあさんが訴えておりました。娘がたびたび映画に行く、というので、いいのがある時は行かしてあげるから、きょうはやめなさいというと、子どもは、「おかあさん、今は民主主義の時代ですよ。私の自由を束縛しないでください」と言います。どうしたらいいのでしょうと。忠とか孝とかいうことは、封建思想だとして退ける。何もかも自分の意志を通そうとするような者として、子どもは育てられる。(同書18頁)

 私など当時ここで言われている娘さんと同じであった。長ずるに及んで学校教育の現場に立ち、また家庭では子どもたちの養育に携わった。途中から教育の羅針盤として聖書をいただいたが、振り返ると徹底的でなかったと思う。子どもの両親に対する絶対服従の聖書の原則に対して、自らのうちにある自由思想でもって肯(がえん)じない所が曖昧に残っていたからである。罪の根源にメスが入っていなかったのだ。

 頑なな「自己主張、自己満足の追及、自分の願いだけを突き通していこう、是が非でも自分のものを得ようとする自己中心」(19頁)性が罪と言われるものの本体だが、私自身主イエス様を信じていてもこの自らの姿に気づいていなかった。ところが、この本の後の方で救世軍の創立者ウィリアム・ブース氏の士官学校での卒業式辞が次のように紹介されている。

「私は三年間も貴重な時を教養のために費やすようななまぬるいことをしたくない。できることならその代わりに、三日間地獄に送りたい。そうしたら諸君は、その悲しい苦悶から人々を救い出すため、火の玉となって救霊のために働く者となるであろう」(180頁)

 これほど激しいことばはないのではないか。地獄とは、主イエス様に救いを求めず神様に自己主張を続け不服従を貫く罪人が陥るところである。聖書中の使徒パウロは言う。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になることのないためです。(新約聖書 1コリント9・26~27)

 これはまた何たる「悠々自適」と縁遠い生き方であろうか。そもそも主イエス・キリストの十字架上の死は、私たち罪人(自己中の人間)のいる俗世に下りて受けられた罰であった。そのみわざを受け入れるものが永遠のいのちにあずかれると聖書は約束している。パウロは自らの罪から絶えず離れ、主イエス・キリストを目当てとして歩みつつ人々に福音を紹介し続けた。

罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(新約聖書 ローマ6・23)

(写真は知人のKさんがくださった盆栽。「岩沙参」<イワシャジン>と言い、アルプス原産の高山植物でキキョウ科の多年草であるそうだ。 「立ちてあり 岩沙参に 朝日射す」 「桔梗の アルプス産の りりしさよ」)

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