2010年11月19日金曜日

クリスチャンの歴史観 ハルヴァーソン

(今朝の古利根川)
歴史それ自体の中に何かの意味を見いだそうとすると、何が何だかわからなくなる。歴史の一こま一こまの背後にある、神の王国とサタンの王国の対立抗争を知った時、初めて世界状勢を正しく理解することができる。(実際人間は、自分自身さえも理解していないのだ。)義と不義との戦いという光を通して見ないと、歴史は単なる騒々しい狂人のねごとのようなものになってしまう。

世界状勢の中にある緊張の背後に、また戦争と圧制の底に、世界をわがものにしようという陰険なサタンの作戦計画があるのだ。現にある戦争、個人間の争い、家庭のいざこざ、労使間の紛争、国の内部の争い、国と国との戦いなどは、みなこの霊的戦いが表面に出たものだ。目に見えない一大決戦の外部的現われである。この戦いにあってはキリストの決定的勝利が確実なのである。

このように、歴史の外にある計画を知った時、初めて歴史の意味がわかるし、文明の意味がわかるし、人間生活の意味がわかる。

一千キロの線を想像してみよう。十万キロにしてもよい。無限を表わすためだからどちらにしてもたいした違いはない。この線が永遠を表わすものとする。その線の上に十センチの長さのしるしをつける。この十センチが歴史の初めから終わりまでの時間を表わす。さらに、その十センチの中に針でチョンと突いたような一点を想像しよう。これが歴史の中の現代の文明だ。その小さな点だけでその意味を知ろうとしたらどうなるか。これでわかるように、永遠の光を通してのみ、歴史は意味を生じるのである。

神の計画を表わす第二の線を考えてみよう。それは一千キロの線の始まりから終わりまで伸びている。その線十センチの歴史を突き抜け、小さな小さな点にすぎない現代文明を通って進んでいる。神の計画が十センチの歴史に意味を与え、一点にすぎない現代文明に意味を与えているのだ。

神は歴史の中に働いておられる。神は歴史を超越しておられるが、歴史を通して目的を実現される。神の永遠の目的からして、歴史は意味を持つようになるのである。事実旧約聖書以前には進歩の観念は存在しなかった。進歩の概念は聖書から得たものである。「歴史は神の歴史(The history is His(God's) story.」と言われるとおりである。

みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです(エペソ1:9~10)

ローマ人への手紙8:18~25を読んでいただきたい。歴史の概観をこれほど簡潔に教えたものはほかにない。その中でパウロは、滅びの束縛から解放され、今日私たちの感じているむなしさから、またすべての不安焦燥から自由にされると述べている。おしなべて人間というものは、ちょうど産みの苦しみにある婦人のように不安を持っている。そしてその産みの苦しみは、刻一刻激しさを増している。パウロによれば、これは予期されたことに過ぎない。しかし私たちには希望がある。この希望は、イエスの再臨によって成就される。その時こそ被造物全体が待ち望んでいるものが、キリストにあってもたらされるのである。

(『聖書と人生』リチャード・C・ハルヴァーソン著35~37頁から引用。著者ハルヴァーソンはアメリカ上院付きのチャプレンで合衆国誕生以来から数えると実に第60代目のチャプレンであった。すでに1995年に召された故人であるが、その3代前には、戦後、アメリカでベストセラーになった『ピーターという男』の主人公ピーター・マーシャルがやはりそのチャプレンであった。ピーターは貧しいスコットランド出身の人であった。アメリカンドリームの一つとして読まれたように思う。日本でも村岡花子がいち早く訳して流布したが、今は絶版で手に入らない。現在のチャプレンはセブンスデー・アドペンティスト出身の方のようだが、歴代のチャプレンがこのような歴史観を共有しているとすれば、これはこれでアメリカ合衆国の国際政治の動向を知る上で看過してはならないことではなかろうか。クリスチャンの歴史観を探るには岩波文庫版でアウグスティニスの『神の国』全5巻がある。このハルヴァーソンの短い小文はその本の良き手引きのような気がしてならない。)

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