2012年6月6日水曜日

若き友たちに贈る(下)


 前回、「伝道者の書」について書いたが、実はそれだけでは物足りないので後もう一つ付け加えてみたい。それは『旧約の霊想』(W.G.ムーアヘッド著竹田俊造訳)の「伝道者の書」の最後の二節についての文章(同書237頁)からの引用である。題名は「解決」とある。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者12:13〜14)

 ここにおいてソロモンは日の上に出て、直ちにもつれを解き放し、清算し始めた。「神を恐れる」ことは新約における「神を愛する」という旧約の叙述である。神を愛せよ、彼に従え、彼に頼れ、彼を信ぜよ。そうすればすべてはあなたにとって良いものとなるだろう。さばきが近いからである。これによってすべての悪が正され、すべての奥義は釈明され、言い尽くせない歓喜によって喜ばされるからである。これがこの書の鍵である。日の下に生き、その上に出ず、したがって疑いと不信仰はこれに伴う。日の上に生き、神とともに日を過ごせ、そうすれば光と平安がみなぎるであろう。

 マッコック博士は鳥ともぐらとの会話を想像する。もぐらのモール氏は土の上に顔を突き出して鳥に呼びかける。「やかましい! なんでそんなに騒ぐんだ」と。鳥は枝から枝へと飛び移り、さえずり歌いながら言う。「おお! 日の光、木々、草むら、そこに輝く流れ、山ぎわの白雲、世界は麗しさに満ちている。」「ばかな!」ともぐらは言った。「ぼくは君よりも長く世界に生き、君よりも深くその中に入り込み、これを縦横に旅行し、その上トンネルも掘った。しかも、ぼくは自分が話すほどのことはすべて知っている。それについて君に話しているんだ。そこには何もない。みみずをあさるほかに何もないのだ。」人よ、「日の下に」生きてみよ。そして、土地に穴を掘り、 糧で自分の魂を満たそうと努力してみるがよい。人はもぐらと同じ経験をするであろう。苦しい時が必ず来る。人は涙にむせび、うめきもだえつつ深い嘆きを言い表すであろう。「私の霊魂には楽しみがない」「私は自分の生命を憎む」と。しかし日の上に起き上がり、神の光とその御顔の光輝を浴びよ。彼は歌うであろう。

 伝道者の書は一つの説教と見ることができる。
表題 1:2、3
一 証言 ⑴伝道者の経験による(1、2章)。⑵ 伝道者の観察による(3、4章)
二 説明 ⑴人生の悲惨。 ⑵人生の虚偽 ⑶人生の不義不正。 ⑷人生の貧富。 ⑸人生の不安定。 ⑹こういう危険な人生を貫く最善の道。 ⑺日の上の生活、健全な幸福。

 以上が、ムーアヘッド氏の「伝道者の書」をめぐる霊想の一部である。ところが前回の『66巻のキリスト 』はこのムーアヘッド氏の前半の部分を引用している。二書は深いつながりがあり、甲乙つけ難い内容となっており、聖書通読者には大いに役立つ内容の著書の感がする。しかも『66巻』の訳者笹尾氏と『霊想』の訳者竹田氏は明治期(1890年)日本にやってきたバックストンの薫陶を受けた同門の人・主にある兄弟同士であった。私は今回三人の青年と出会ったが、奇しくもこの書とも初めて出会ったのであった。不思議な縁(えにし)を覚える。

0 件のコメント:

コメントを投稿