2013年11月10日日曜日

パゼット・ウィルクスの日本伝道日記から

Mount Asama in Eruption
1910年(明治43年)7月15日
 次の手紙を、私は今日受け取りました。ミスK・Wのことや、その帰国の事情について知らない人に、この美しい物語をよりよく理解してもらうために、説明を加える必要があると思います。この信仰の深い主のしもべは、イングランドの豊かな家庭に育ち、マスグレーブ・ブラウン師によってすばらしい信仰を持ち、バックストン師のもとで伝道に従事するため、日本に来て10年になります。彼女は主の教えをさらに美しく輝かせるような人柄でした。彼女ほど主イエスを信じることの深い者はほかにいないことを私は知っています。しかし青天の霹靂のように、思いもかけぬことが起こりました。医者は彼女の命があと6週間しかないことを宣告したのです。悪性のガンです。彼女の場合にもガンはその残酷さを少しも緩めることはなかったのです。

 この手紙は、死の宣告を受けた直後に、彼女が信仰に導いた人の一人に宛てて書いたものです。その透徹した文章を通じて、この世で最も崇高なもの—残酷な死に対する圧倒的な勝利—が宝石のように輝いています。死後の今でも、彼女はまだ語り続けています。

「お見舞いの電報と、優しい慰めのお手紙をいただきお礼申し上げます。あなたの言われるとおり、祝福の輪がますます広がっていくことを神がお許しになるように祈ります。『もし死ねば、豊かな実を結びます』(ヨハネ12・24)。私は喜んで小さい石になります。あなたが手紙に書かれたこのみことばは、何と美しい神のみこころでしょう。私はもう天国の階段を昇りかけています。まもなく神のお姿を見ることができると考えるだけでも非常な光栄です。天国への道をあなたが進んで行かれるのを妨げるものは、全部捨ててしまわれるように私は心からお願いします。

 それによってあなたの命が終わる時、あなたはきっと大きな喜びを受けることになります。もう一つ、罪の中で最も恐ろしい罪である、神を信じない罪を犯さないようにしてください。いつもイエスをじっと見つめてください。ペテロはイエスを見つめている間だけ、水の上を歩くことができたことをあなたは知っておられます。ペテロはイエスから目を離した途端に沈み始めました。道が険しいため、あなたが勇気を失った時は、イエスのことを思い出してください。心が疲れた時は、イエスは私たちよりももっともっと耐え忍ばれたことを思い出してください。ヘブル書13章1〜6節を、あなたへ贈り物といたします。

 まだ書きたいことは多いのですが、もうお別れしなければなりません。私がこの上なく愛した人々と別れを告げなければならないことは私にとっていちばん悲しいことです。しかし私はいつも喜びと平和とに満たされています。私が死ねば皆さんは驚かれることでしょうが、これはすべて神のご慈愛です。私はどんな場合も神をたたえます。たとえ悪魔があなたに全世界を与えても、またどんなりっぱな贈り物や高い地位を与えても、天国を失わないようにしてください。神はあなたを祝福し、あなたを守り、あなたを慰め、あなたを助けます。神はあなたが必要とするすべてです。温かいクリスチャンの愛と、ローマ書の『どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように』(15・13)というみことばを贈ります。そして、あなたに『永遠の腕が下に』(申命33・27)という保証を合わせて贈ります。終わりに、私は憩いと平和と喜びとに満たされていることをお伝えします。あなたと私とは、神の永遠の愛のきずなによって結ばれています。
                        M・K・W 」

”これからいつまでも、主のみ手の中に眠る者は幸いです。そうです。この人たちはこの世の労苦から解き放されて憩い、その良きわざは、いつまでもこの人たちのものです、と聖霊は言います。”

私たちと同じ罪人の一人が、自由を与えられるのは、
悲しむべきことでしょうか。
いいえ、親しい友よ、それは違います。
私たちは喜んであなたを、
地上の苦しみの多い教会から、
神の統べ治める天上の教会へ送ります。
あなたは見事に死に打ち勝ったのです。
あなたの頭には、命と愛の冠が飾られています。

(同書28〜31頁より引用。訳者は安部赳夫氏で、いのちのことば社から1978年に出版されている。英文では自由に以下サイトから閲覧できる。https://archive.org/stream/missionaryjoys00wilkuoft#page/n5/mode/2up 冒頭の写真はそのサイトから拝借させていただいたが、ウィルクス氏が日本滞在中に経験した浅間噴火の様子を撮影したものである。本国イギリスに日本人の救いのために祈って欲しいと要請するために、特に印象的なこの写真を用いたのではないだろうか。)

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