2014年3月20日木曜日

リビングストンの生涯(4)

奴隷拘束に用いられた棒(サイトより引用)
一行は東方に迂回してシュワル湖、「壮大なる島の湖水」を発見した。この湖はポルトガル人には全く未知のものであった。彼らはシレー河に入ることさえも土人に許されなかった。リビングストンは度々一行はポルトガル人でなく、英国人であることを説明せねばならなかった。湖水発見後彼らは船の所に帰り、それより軍艦に会って糧食を得るためにコンゴネまで下った。しかしそれは失望に終わった。

このころ、彼は幼い娘アグネスに次のごとき手紙を送っている。
「シレー河にて、1859年6月1日。私どもは塩の貯えを得る目的で、軍艦に会うためにザンベジーの河口に下った。しかし指定した日に艦の姿は見えなかった。私が長官に出した手紙は、軍艦が出るまでに受け取られなかったのであろう。ここには郵便局がないので、手紙を入れた壜をコンゴネ港の入口の島に埋めておく。これは私が軍艦に会わなかった時には、そのようにすることをあらかじめ長官に話してあるからである。それで誰かがその壜を探して、次の指定日が7月30日であることを知るであろう。この手紙は他の郵便物とともにクイルマネに運ばれる。私はあなたから手紙を受け取りたいと願っている。私どもはリバプールを立ってからのち、故郷よりの報せに接しない。ヨーロッパやインドが如何になっているか知りたいと熱望している。

私は今テッテに行っている。しかしその前に一行のために米を買うべく、シレー河を40マイルほどさかのぼった。チャールス叔父さんはそこにいる。彼は熱病にかかっていたがもう大分よい。私どもはおよそ二ヵ月前に彼とそこで別れた。キルク博士と私は15人のマコロロ人 とともに、マロバート号で百マイルほどこの河を上り、そこから船を残して徒歩で進み非常に美しいシュルワという湖を発見した。その湖は非常に大きくて向こ うの岸が見えない。その周囲はスコットランドでは見ることのできない高い山脈に囲まれている。一つの山は湖水の中にあって、その上にも人が住んでいる。他にゾムバと言われる6000フィート以上の高い山があって、その上にもまた人が住んでいる。その頂きに彼らの田園が見える。それはグラスゴーからハミルトンまでよりももっと広く、15マイルから18マイル位もある。 土地は全く高原地帯であって、その中には多くの人が住んでいる。

その住民の大部分は我等を恐れる。婦人たちは小屋に逃げ込んで戸を閉じてしまい、子供たちは泣き叫び、鶏さえ雛を棄てて逃げ去る。彼らは私どもを奴隷売買人と思ってかく恐れる。しかし間もなく我等はポルトガル人でなく、英国人であることを知る時が来るであろう。私は奴隷売買人が買ってきたての奴隷を馴らす棒(※上図)を見た。その長さは8フィートほどあって、その先が二つに別れ、その間に頭というよりはむしろ首をくくりつけ、他の奴隷がその一方の端を持って行く。彼らは馴れたと認められた時に、それを外して鎖に繋がれる。私はこの恐るべき状態を取り除くことができるとの望みをもって働いている。すべては全智の神の御手にある。彼は結局においてすべてを正しく導き給うことを信ずる。

愛するアグネスよ。神を父としまた導き手として持ち、彼にあなたの心にあるすべてを語り、彼を信友とせよ。彼の耳は常に開かれている。彼は謙遜なる嘆息を軽しめ給わない。彼はあなたの最善の友であって何時でも愛し給う。イエスのしもべとなるのでは十分でない。あなたは友とならねばならない。彼を愛しあなたの全生涯を彼に開け渡されよ。もっと彼を信じあなたのすべての注意を彼に向けより以上に彼を喜ばしまつるように。彼は彼自らの栄光のためにあなたとあなたの生涯を導き給うであろう。主、御身とともにあれ。お祖母様やあなたの友だちによろしく。あなたの目がよくなって、書物が読めるようになることを望む。

トムに私どもはシレーに下っていた、若い象を捕らえたことを語られよ。その象はは大きな犬くらいの大きさであった。しかしマコロロ人の一人が興奮していて、象の鼻を切ったので、出血多く二日ほどして死んだ。もし生きていたら、英国ではアフリカの象を見ることができないので、女王陛下に贈りたいと思っていた。お母様やオスウエルからは何の報せもない。」

彼が子どものことを如何に思ったかは次の日記の中にも表われている。
「1859 年6月20日、私は私自身の知識や力に向かって喚起されている世間の注意の如何なるものにも属することはできない。また属しようとも思わない。大いなる神の力が私の助け手である。私は常に私の成功はすべて神の恵みであることを語ろう。私は神の力の通路である。私は、神の恵みの感化が私を貫いて、私のすべてをこの堕落せる世界に、神の愛の支配が発展するために、用いられんことを祈る。

ああ御霊の温和なる感化が、私の子供たちの心に宿り、その霊を貫かんことを。キリスト・イエスにある神の不滅の愛、彼らの全性格にひろまらんことを。聖なる、恵みある全能の力、私は汝の全能の御子を通じて汝の蔭にあり。私の子供たちを汝の守りにおき給え。彼らを潔め、汝の御用にふさわしき者となし給え。義の太陽の光を、春に、夏に、刈り入れの秋に、汝のために彼らの中にあらしめ給え。」

(『リビングストンの生涯』182〜185頁より引用。リビングストンの熱情はすべて主の愛に生かされたものであった。冒頭の図は人間が人間を奴隷としてあつかった棒※http://www.gutenberg.org/files/13262/13262-h/13262-h.htm#CHAPTER_XII.である。彼ほど人間が悪魔の奴隷として滅びて行くのを黙って見ていることができず、とうとう辺境の地まで福音を伝えに来たまことの宣教師である。その彼は同時に離して来た家族のことを絶えず思い、主イエスを信じ祈り切っていた人物である。日本で言うと江戸時代幕末の人であるが・・・。
年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。詩篇71・18〜19

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