2014年3月27日木曜日

リビングストンの生涯(9)

明治34年版表紙絵
リビングストンの将来の生涯を決定した大いなる精神的変化が起こったのは、二十歳の時であった。もちろんそれ以前にもキリスト信仰に対しては熱心なる考えを持っていた。彼が著した最初の書物に「私の心にキリスト信仰を染み込ますために両親は苦心した。救い主の贖いによる自由救済についての理論を理解するのは困難でなかった。しかし私自身の場合において、贖罪の備えの人格的適用の必然性とその価値を感じ始めたのは、ほぼこの時である」と言っている。この言葉を裏書きするのに、彼が伝道のため献身したいと願って、ロンドン伝道会社の理事より下付してきた質問に対して、提出した書面がある。
彼は十二歳の頃、自己の罪人の姿を反省し、心の中に真理を受け入れることによって、充ち溢れる精神状態の実感を熱望するようになったと言っている。しかし彼は聖霊による超自然的の働きが、彼の中に起こる時までそんな大いなる恵みを受くる価値なしとの考えに妨げられて、福音において恩恵の無制限に提供されるという信仰を抱き得なかった。聖霊によりて打ち貫かれる時を待つべきだとは思いつつも、なお希望の根拠を内に見出さんと焦って、罪人の唯一の望み、キリストにおいて完成された業を認め得なかった。そうして彼の確信は消え、知覚は鈍って来た。しかもなお彼の心には平安がなく、如何なるものによっても充たされることの出来ない渇きが残された。

かかる状態にあった時、彼はディックの「未来王国の哲学」を読んだ。この書は彼の誤りを正して真理を示した。「私はキリストの救いを直ちに受けるという義務と、量り得ざる特権を知った。大いなる憐れみと恵みを通してこの救いを受けることができると謙遜に信じ、今なお堕落して偽っている心に、この信仰の体験を幾らか感じさしていただいた。私の生涯を主の御事業に捧げ、私のために死に給いし主の目的に対する私の愛慕を示すことが私の願いである。」※

ここにおいてデビッド・リビングストンの霊は疑いもなく、その内に注ぎ込まれた新しき生命によりて徹底的に打ち貫かれた。彼は単純に真理を理解したのでなく、真理が彼を捉えたのである。聖パウロもアウガスティンや、その他かくの如き人々に溢れた聖なる恩寵が、彼の心にも溢れたのである。この世的な欲望や願いはなくなった。彼はその著書において「神の制限なき恩寵が、血をもって贖い給いし神に対する愛と深き責任感とを起こさしめる。今までは自分自身の愛によって行動していたのであるが、今こそはこんな者を通して最も尊い神の愛の現われることを知った」と言っている。


1901年日本の江湖に登場
良心の鉄則の下に苦しんでいた自己否定の行為は、溢るる神の愛の下に感恩の奉仕となった。彼は内部的体験を現わすこと少なく、霊感に打たれた言葉もあまりないが、彼が静かにしかも力ある内的なものによりて、彼の生涯の終わりまで動かされたことは明らかである。幼い頃、父の家で彼の心に起こった愛は、荒涼たるアフリカ旅行の間も、そしてついに、かのイララの小屋のベットの側に、跪いて、寂しき夜半祈りにみたされてその霊が父とキリストのみもとに帰る時まで、彼を動かしつづけたのである。

最初彼は伝道者になろうとは考えなかった。「人の救いは各々クリスチャンの主な願望と目的に因る」と考え「彼の生活に必要なものより以上の金を得て、伝道のために捧げようと決心した。」その彼が自分自身を捧げようと決心したのは、グッヅラフ氏が支那のために英国と米国の教会に訴えた書を読んでからである。それは「幾百万の同胞が求めている。しかるに適当なる伝道者少なくして手不足を感じている」と言うのであった。これが彼にこの任務につかんとの熱望を起こさしめたのである。この時から—それはちょうど二十一歳の時であったが—彼の「努力は常にこの目的に集中されて少しも変わらなかった。」

工場において数年間単調なる労働に従事したことを、リビングストンは決して後悔しなかった。むしろ反対にこの時の経験を重要なる訓練の時期と考えている。そしてもし出来得るならば「再び同様な低い階級の生活をなし同様な困難を通ってゆきたい」と願った。彼が得た少年労働者に対する同僚愛はスコットランドにおいて、あるいはアフリカにおいて、同じ階級の人々を感化するに量りがたく尊いものであった。前にも言った如く、彼は本性的に平民であった。しかし決して高い階級を嫌ったのではない。晩年に彼は、人生の善いことを楽しんでいる平安と隙のある人をみるのもよい、しかし重荷を負える大衆に最も同情が起きる、と言っている。彼は生涯のすべての労苦と試練の中にあって、プランタイヤーでの少年時代の訓練が善かったことを感謝している。

2000人の人口を有するプランタイヤーの村には、奉仕的に少年たちに信仰の重要性を伝える立派な人たちがいた。特にトマス・ブルクとデビッド・ホッグは人々から尊敬されていた。リビングストンもこの二人より多くの感化を受けたが、特にデビッド・ホッグから大いなるものを受けた。彼は臨終において「少年よ信仰を君の生涯の日々の務めとせよ、一時的の熱心では駄目である。この信仰によって誘惑や他の困難も反って君をより善くなすであろう」と教えた。

リビングストンの最も好まなかった人は、言葉のみ多くて実行の伴わない人である。これに対する憎悪は年進むとともに増して、信仰告白とか形式的な信仰箇条を軽んじ、主のみことば「その実によりて彼らを知るべし」との信仰を益々強く抱くようになった。

(『リビングストンの生涯』第1章少年時代10〜13頁より引用。※1原文は"I saw the duty and inestimable privilege immediately to accept salvation by Christ. Humbly believing that through sovereign mercy and grace I have been enabled so to do, and having felt in some measure its effects on my still depraved and deceitful heart, it is my desire to show my attachment to the cause of Him who died for me by devoting my life to his service."である。http://www.gutenberg.org/files/13262/13262-h/13262-h.htm#CHAPTER_I.明治34年1901年刊行の『リビングストン』有島武郎・森本厚吉共著警声社版では同じ箇所が次のように訳されていた。「余はキリストによりて、直ちに救済を受くるの義務と、無限の特権あるを知れり。余は虔みて、主の恩恵を享くるによりて、救わるるを感じ、そして罪に汚れたる余の心も、なお救わるるべきを感じて、全生涯を余のために死せし主に献じ、クリストの跡に従うの希望を得たり」※2)

0 件のコメント:

コメントを投稿