2020年5月17日日曜日

霊界の黙示(上)


 「幽明境を異にする』という言葉がある。国語辞書によると「幽」は暗い意で死後の世界を指し、「明」はこの世を指す、とある。日本人の死生観を的確にあらわしている。一方、今日コロナ禍に日々私たちは喘がされている。全世界が絶壁に追い詰められてあとがないと言っても過言ではない。しかし、果たしてそれだけであろうか。聖書のみことばに基づいた死生観をあらわした『霊界の黙示』(サンダー・シング著金井為一郎訳昭和2年刊行)からその第6章の以下の部分を(上)(中)(下)の三回に分けて順次紹介する。

正しき者の状態とその栄ある前途

 天または神の国はこの世に住むすべて真の信者の生涯の中より始まる。彼らの心はつねに平和と喜悦とをもって満たされ、どんな迫害と困難とを忍ばなければならぬともこれを意としない。それはすべての平和と生命との源なる神が彼らの中に住み給うからである。死は彼らにとって死でなく、永遠の家へ、とこしえに入るの門戸である。あるいはかく言うことができよう。すでに永遠の御国へ新たに生まれたものでも、肉体を離れる日は彼らにとって霊界への誕生であって死ではない。かつ非常な喜びの日であることは以下の出来事によって明らかである。

一義人の死

 三十年間全心をもって主に仕えていた真の信者が死んだ時にどうなったかを、天使の一人が私に告げた。死ぬ少し前に神が彼の霊の眼を開き給うて、未だ肉体を離れぬ中に霊界を見ることを得しめ、その見たことを語ることができるようにならしめた。彼は天が彼のために開け、天使および聖徒の一群が出で来たりつつある様と、救い主が差し伸ばした聖手をもって彼を迎えんとしているのを見た。このすべてが彼の上に突然打ち開かれたのを見て傍にいる人をびっくりさせるような声をもって叫んだ。『我にとって何たる幸福の時か!』『私は長い間、我が主を見んことを願い、主のところへ行くことを待ち望んだ。おお、友よ! 愛によって照り輝く主の御顔と我がために来た天使らの群れとを見よ。何たる光輝あるところか! 友よ私は真の我が家へ出発するのだ、私の出発を嘆かずして喜べ!』と。

 傍におった人の一人が静かに言うた『彼は気が変になっている』と。その囁く声を聞いて彼は言うた。『いや、そうじゃない。私の心は全く確かだ。私はあなたがたがこの驚くべき光景を見得んことを望む。これがあなたがたの目に隠れていることを悲しむ。さようなら。私どもは次の世で再び逢いましょう』と言うて目を閉じ『主よ我が魂を汝(あなた)の手にゆだねます』と叫んで眠りについた。

(引用部分は『霊界の黙示』76頁〜78頁からの引用。明日は「愛する主の慰め」と題する主要部分である。さて、愛する村上恵子さんは冒頭の絵をはじめとして私たちに多くの信仰の賜物を残して昨日夜8時1分に召されました。このシリーズはそのことを覚えての掲載でもあります。)

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