2020年5月5日火曜日

私と「エール」(下)

昭和45年(1970年)4月26日の新聞※

 「エール」という朝ドラはつくづく良くできていると思う。家族であるがゆえに持つ愛憎が余す所なく描かれているからだ。子どもの立場になって見ても、また親の立場で見ても、さらには夫婦の間柄どれ一つとっても、真実なものを感ずる。昨今能弁ではあるが、自分のことばで決して語ろうとされない首相の会見を何度も聞かされて辟易さえしている当方にとって、ドラマの会話の中ににじみ出るその真実さに改めて刮目させられる。

 その上、その人たちを取り巻く市井の人たちのあたたかさも伝わってくる。それは、ある意味で「昭和」という時代の絵模様ではないかと思う。それを平成生まれの役者の方が演じているのだからすごい。逆に言うと、真剣に音楽一筋に生きた古関裕而夫妻の生き様が時を超えて人の胸を打つからだろう。同時に脚本がしっかりしていて、それを具体化するために一種の総合芸術とも言うべきものが電波に乗せられて、すべての人の心に届く。大変な数の人々の共同作業からなるこの作品の今後に心から「エール」を送りたい。

 今回、私がこのドラマに関心を持ったのは、本当のことを言えば、実は単に時間ができたからではない。5000曲も作曲した古関裕而さんの曲が母校の滋賀県立彦根東高校の校歌作曲者であったからである。しかもその作詞者吉田精一氏が家の縁戚にあたる方であったからである。私はそのことをずっと知らなかった。私たちの世代では「吉田精一」と言えば、国文学者としての氏の存在が余りにも有名で、どうして東京のその方が校歌作詞者なのかと不思議にさえ思っていたくらいである。

 ところが、ある時、母校が1996年に発刊した『彦根東高120年史』を通して、その作詞者の吉田精一氏は同姓同名の全く別人で、私が小学生時代、町の公民館でその方からアインシュタインの話をお聞きした方であった。我が家は中山道に面しているが、道路を挟んで斜め前に精一さんの家があった。そして、私の家の路地を挟んだ左隣が精一さんと私の家が本家とする家があった。着物姿の精一さんは、よくその中山道を対角線上に横切っては、その本家の玄関へとよく駆け込まれたものだ。それは、俗塵にまみれてはなるものかとばかりの勢いを子ども心に感じさせるものがあった。町内の神社の祭典費を集めに行っても頑として断られた人であった。

 最近私はその彼について母が65年前の1955年の1月の日記に次のように書いている記事を見つけた。「度を過ごした潔癖が寿命を短くした、人生を寂しい物にしたとしみじみと語られた精一さんの言葉は自己への反省とも聞き取れ感銘を深くした。」精一さんの母親おなおさんの死に立ち会った母が通夜の席で精一さんとご一緒して聞いた話のようである。(おなおさんは本家の方々が東京に出られ留守宅になったので、ずっとその本家を守られた人であった。)

 その精一さんは明治45年に、私と同じ高宮小学校を卒業し、その後彦中、四高を経て東京帝大農学部に進まれ、戦前は東京農大で教鞭をとられた。戦後旧制から新制へと教育体制の変革期に郷里に帰り、私の母校の先生をなさった。そのような有為転変ののち町の教育長もなさった方であるが、戦前の農大時代に同校の応援歌を作詞され、古関裕而さんが作曲者であった。その精一さんが戦後自らの母校でもあり、教師でもあった高校の校歌を作詞し、またしても古関裕而さんに作曲をお願いされたのだった。だから精一さんは古関さんと二度のコンビを組んでおられることになる。(この項は『120年史』762〜763頁による)

 いずれも旧聞に属することではあるが、人と人との出会いとはまことにまか不思議である。今朝の「エール」27回目では、裕一が音楽を取るか、愛する人「おと」との結婚を取るか、再び二者択一の選択を迫られ、音楽を取り、「おと」との結婚を断念する。それは重い決断であった。しかし、そのような決断にもかかわらず音楽を目的としたイギリス留学の道が閉ざされるということで終わった。私たちの場合はキリストを取るか、恋人を取るか選択を迫られ、結婚前の三年間に次々と様々な事件が起きた。他人事ではない思いがひとしおする。金婚記念を機にまさにタイムリーなNHKによる「エール」であると思えなくもない。

 しかし、最後にやはりコロナウイルスに悩む私たちへの神のみことばの「エール」を記しておきたい。

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。(ヤコブ5:11)

(※写真はこどもたちがエールとしてプレゼントしてくれた第三弾目であった。それは八枚からなる生誕、結婚、五人のこどもの誕生の日の新聞のマイクロフィルムであり「50年というふたりの長い長い道のりをゆっくり振り返ってみてください。そして、今度たっぷり思い出を聞かせてね。51年目も変わらず主の守りと平安がありますように」と添え書きがあった。なお、吉田精一作詞古関裕而作曲の彦根東高の校歌は以下で聞くことができる。https://www.youtube.com/watch?v=CbZZ5zZBaYY

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