2020年5月21日木曜日

主のご計画の一端(中)


 その倉で手にした二冊の本は対照的な本であった。『霊界の黙示』に比べ、もう一冊の本は死後の生活が明るく描かれていた。今から思うと千夜一夜の物語に近いものでなかったかと思う。当時、すでに思春期に入っていた私をわくわくさせる内容だった。それに比べると『霊界の黙示』は名前からして気持ち悪かった。「霊界」ということばが第一私にはいただけない代物であった。それやこれやでこれらの本の存在は、高校、大学、社会人になるにつけすっかり忘れ去られていった。

 ところが、いざ私が結婚するという時になって、相手がクリスチャンだということで、私の家では問題になった。私自身はキリスト教はもちろん信ずる気はない、家は仏教であるが、取り立ててそのことに問題を感じていなかった。前回述べた通り、むしろ今まで自分自身の生活に根づいており、その衣を脱ぎ捨てることなどこれっぽちも考えていなかった。ただ到達した学問が経済学史であり、マックス・ヴェーバーの諸著作に親しんでおり「キリスト教」に無関心ではなかった。またマルクスを経由しての森有正ファンでもあったので、できれば自らもそのような信仰を持てればと思ったこともあったが、それはファッションでありそれ以上のものではなかった。

 両親がキリスト教は家風に反すると言っても、私の父はもともと母が吉田家を絶やさないために、養子として迎えた人だった。その母は私の18歳の時に44歳で亡くなってしまった。その後、父は私の勧めもあって、再婚した。その方が私の継母になった。その二人が純然とした家系を継いでいる私に反対したのだ。家風は確かに昨日も書いたが、神仏混淆のふつうの日本家庭であった。むしろ祖父も祖母もいない、言うなら核家族であった。50年後の今から振り返ると、家風云々の両親の反対はそもそもそれほど強靭なものでなかった。それは両親と私には見えていた問題であった。反対の理由は別のところにあった。家風云々はその反対を覆い隠す隠れ蓑にすぎなかった。

 ところで、1967年に家内は洗礼を受けた。私は1970年に洗礼を受けた。この両三年間の間の二人の間の信仰をめぐる闘いは、結婚に導かれるまで、今放送中の『エール』が描く世界に一部似ている。家内がそもそも洗礼を受けるにあたっては、何代も続いた庄屋の家にとって大問題であった。家内には睨みを利かす祖母が健在であった。そして双方の結婚話が持ち上がった時、家内の両親はむしろ私に家内の信仰に対して棄教を勧める役割を期待したくらいであった。四つどもえとも言える私たち二人の結婚騒動だった。

 しかし、不思議なことに結婚に反対したそれぞれの両親は、まず1981年に私の父が、1994年には継母が、2004年に義父が、2010年に義母が亡くなったが、私の父と継母は聖書に基づく葬儀、家内の父母は仏式だったが、特に継母と義母ははっきり主の救いを信じて召された。その上、義父の実兄は私たちに福音を求め、信じて召された。

 継母が亡くなり、高宮の家の整理に入り、私は倉の二階にあった先代の遺品が気がかりだった。母の先夫は吉田文次郎※と言って、昭和13年22歳で戦死している(母は21歳で戦争未亡人になったのだ)、その彼の遺品である。その時、私はあの中学以来、この『霊界の黙示』を再び手にしたのである。そして、読んでみて驚いた。それは1994、5年の頃で、実に40年ぶりのこの本との再会となった。

※彼の小学入学のころの姿が過去「いのちの尊さ」という題名でブログに載せた写真左側の少年である。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2020/04/blog-post.html

彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、決して失望させられることがない。(1ペテロ2:6)

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