2022年7月18日月曜日

子どもたちの美しい挿話(7)

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(マルコ10・16)

 若くして父を失い、母マリヤを助けて 弟妹の世話をなさったイエスは赤ん坊の抱き具合を心得ておられる。幼児たちは喜んでイエスに抱かれた。エルサレムと十字架とを前にしてイエスはしばらく若き頃のナザレのホームに心を馳せたであろうと思われる。イエスに抱かれ、手を置いて祝された人は世界中にこの少数の幼児の他にはない。なんと言う幸せな赤ん坊たちであろう。

 この後、約四十年で、エルサレムがローマの軍勢に滅ぼされた時、キリストを信じる者はこのペレアの地方に走って虐殺を免れた。この時イエスに祝された子供たちが生長していたとすれば四十歳位である。想像に過ぎないが、何だか興味を感じずにはおられない。イエスとペレア地方の幼児。エルサレム滅亡と信者の避難地としてのペレア。何だか神のご摂理の手が動いているように感ずる。

 とにかく私どもはイエスが幼児を祝福したことを忘れてはならない。赤ん坊を教会に連れて行って祝福を受けるのは善い習慣である。

祈祷
幼児を抱き、手を置いて祝された主イエスさま、あなたは今も見えない御手をもって幼児を愛護されることを感謝申し上げます。願わくは、私たちにも、幼児を祝福し、彼らのために祈ることを努めさせて下さい。また私たちにも常に幼児のように心からあなたを慕う者とならせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著199頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

 記事を読み、日頃の人々に対する自分の接し方を省みるにつけ、イエス様の柔和さは際立っていることに改めて気づかされる。イザヤ書は語る。「彼はいたんだ葦を折ることなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」〈42・3〉

   F.Bマイヤーはこのみことばについて「この一連の”しもべ”像は、イエス・キリストを描くものです。悪魔は、盛んにささやきます、『それはたかがいたんだ葦ではありませんか。そんなものはうっちゃっておしまいなさい』。しかし、主は言われます、『それはいたんでいる。故に一層手厚い保護が必要なのだ』と。また、悪魔はたたみかけます。『そんなくすぶる燈心なんか目ざわりです。もみ消してしまった方がよいでしょう』と。しかし、主は言われます、『だからこそ、油を注いで明るく輝かせなければならないのだ』。もしも、悪魔の言う通りになったとしたら、一体世界には救われる人は何人いることでしょう。ただこの主のご愛あるがゆえに、いかなる者も救われるのです。」〈『きょうの力』472頁より引用〉

と、その注釈をしていた。)

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