2022年7月4日月曜日

霊魂のたいせつさ(1)その意義

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。(マルコ9・43)

 全体を比喩的に読むべきであろう。ゲヘナはヒンノムの谷ということで塵芥の焼却場であると同時に死刑囚の死体を投げ込んだりする場所である。腐りかけた手を切断することを惜しんで生命を失い死体をヒンノムの谷に投げ込まれるよりも、早く外科手術をして体の全体を救う方がよい。

 そのように霊魂の手が腐りかけた時には霊魂の外科手術をやって、その患部を切り去り、霊魂全体を永遠の死より救うがよいということであろう。先に海に沈められる刑罰を借りて人をつまずかす罪の重いことを説いたが、今ゲヘナの火を借りて自らつまずかすことの危うきを説いたのである。

 『ゲヘナの消えぬ火』を直ちに永遠の地獄と解釈すべきではあるまい。要するに『いのちにはいる』ためには如何なる苦痛をも忍び、如何なる犠牲をも惜しんではならぬ。少しの脱疽〈だっそ〉がたちまちに全身に及んで取り返しがつかないように、少しの罪も早く悔い改めて切断せねば全霊魂を失うに至るとのご教訓であろう。

祈祷
神様、私どもは肉体の疾病は恐れます。これを治すためには時間も労苦も金銭も惜しみません。けれども霊魂の疾病にはまことに無頓着であり無感覚であります。どうか虎狼よりも恐ろしい内心の罪より私どもを斬り放って下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著184頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。)  

0 件のコメント:

コメントを投稿