2022年7月26日火曜日

富の誘惑に勝たしめて下さい

イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。・・・ラクダが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」・・・イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」(マルコ10・24、27)

 年齢ではイエスと弟子らと大した相違はなかった。しかし、イエスは彼らの無邪気と無知とを憐んで誠に小さい子供のように思われた。巨人と常人との差である。否、神の子と罪人との差である。

 主は私どもの無知と無能とを軽蔑し給うことなくいつも憐みの御心をもって『子たちよ』と呼んで下さるのである。それのみではない。私どもにはラクダの針の穴を通るほど困難なあるいは不可能なことであっても神はその全能の御手を挙げて私どもを助けて下さるというのである。だから普通人の不可能も神を信ずる者には可能となる。

 富と戦うのは天来の援助なき人間には不能である。それほど恐るべき力である。心してよくこれを用い、これに用いられぬようにすべきである。富は善きしもべであるが、悪しき主人であると言われているではないか。

祈祷
主イエス様、願わくは、私たちにあなたの力を貸してよく富の誘惑に勝たしめて下さい。富が私の主とならないで、私のしもべとしてあなたのために用いることができるようにして下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著207頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 引き続いて、クレッツマンの『聖書の黙想』から以下引用する。

 イエスはその思うところを次のように、はっきりと、弟子たちに示された。
ーー富を持つことには、何も悪いことはないのだ。富も、また、神からの賜物であるから。ところが、困ったことには、私たちは神のみを信ずべきであるにもかかわらず、富を信ずる者がかくばかり多くいる。その果てには、彼らは神を失い、神の国をも失ってしまう。富は彼らが神の国へ入ることを妨げるのだ。富める者が神の国へ入ることよりは、ラクダが針の穴を通ることの方がずっと容易である、と主は強調された。

 弟子たちはますます驚き、どうしたら、こんな情況の下で救われることができるのだろうかと互いにいぶかり合った。そこで、主はこの点について、人に不可能なことでも、神には可能である、という事実を彼らに思い起こさせた。実に、神のみがそのあがないの恵みによって富める者をも、貧しい者をも救うことができる。

※以前、ルカの福音書における18・24〜27が中々理解できなかったが、具体的な証として、19・1〜10のザアカイの救いをルカはここに挿入したのではないかと思ったことがある。)

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