2024年2月2日金曜日

B. McCall Barbour 書店の証

B. McCall Barbour 書店(エジンバラ 2010.10.5)
 『荒野の泉』というキリスト者の間で読み継がれているベストセラーがある。それは365日、それぞれの日毎に聖句を載せ、それに関する、過去のキリスト者の霊想が並行して載せられている書物である。私はこの本を、書架に並べているが、いまだにキチンと読んだことがなかった。それに比べると、家内は長年愛読しており、何人もの方々に贈り物として数年前まで使わせていただいていた本である。そういう意味では、私にとっても馴染みのある本である。

 ところが、今年の年頭に、主にある親しい友である方から、いただいた風景入りのカード(※1)の中にツィンツェンドルフ伯爵の言葉が載せてあった。最初、この伯爵の言葉の文字が小さくて読み取れなかった。もっと知りたい、いったいどこに載せてあるのだろうかという思いであった。そして、ひょっとしてこの『荒野の泉』に掲載している人物の中にあるものではないだろうか、というのが私のちょっとした勘だった。ところが、どうしても見つからなかった(※2)。その代わりに、1月14日に登場する「J・ダンソン・スミス」という人名が妙に気になった。

 そして、過去のブログ記事(※3)を繰って見て、まさに私の脳裏にくっきりと刻み込まれていた「J・ダンソン・スミス」氏、まさしくその人だった。2010年、結婚40周年を記念して、海外旅行を子どもたちがプレゼントしてくれた。その時、選んだ最初の訪問地はスコットランドのエジンバラであった。そのエジンバラで偶然にもJ・ダンソン・スミスさんの御子息(お嬢さんと息子さん)の経営する書店に入り、しばし御交わりをさせていただいたことがあったからである。もとより、異国人同士である私たちは、その時が初対面であり、お互いに未知であり、それゆえに私たちはお名前も、またその方がどんな方かも知らなかった。

 ところが、その一連のブログを読んでいただくとわかるが、お嬢さんである方が「今度は天国でお会いしましょう」とそのお店を辞去する時に言われたほど、フレンドリーなお交わりをいただいた。そのお父様のJ・ダンソン・スミスさんの霊想が『荒野の泉』に載っているというのは、嬉しい驚きだった。早速、読んでみた。そこには次のような文章が綴られていた。

 彼さきにゆきたもう これは私の慰めである
 彼さきにゆきたもう 私の心はその上に安住する
 彼さきにゆきたもう これは救いを保証する
 彼さきにゆきたもう それゆえにすべてはよい。
              ーー J・ダンソン・スミス

 これまた何と尊い導きの言葉、美しい詩であろうか。彼とはもちろん、主イエス・キリストである。これが、あのパンフレットがダンソン氏を紹介するにあたって述べている「writing beautiful poems」のあらわれの一端なのだろうかと嬉しくなった。

 そして、一月に紹介してきたツィンツェンドルフ伯爵の新生が、十字架上の受難の主を体験することであり、そのことではハヴァガルもまた同様な経験のもとでその人生の画期としていることを確かめた(※4)。ところで、McCall Barbour氏が"He failth not"(「主は不正を行わない」ゼパニヤ3:5)と言い、かつ"All have sinned, but the Lord Jesus can save!"とその仕事の後継者であるJ・ダンソン・スミス氏たちをして言わしめていることを、昨日、一昨日のブログで確かめた通りである。

 この時代を異にする四者に共通することは、結局、人間にはできないが、主にはできる。それは人間が罪人だからであり、その罪を贖ってくださったお方はただ一人神の子、主イエス様だけであるという聖書が一貫して私たちに伝えている「福音」ではないかと思った。

 時到り、岸田首相は裏金疑惑を謝罪した。トヨタ会長豊田氏は相次ぐ車両検査の不正を謝罪した。翌朝、TBSの森本毅郎スタンバイで、政界、財界の両トップである人が謝罪を表明せざるを得ず、しかもその謝罪も本当の改革・改善への道備へとなるか大いに疑問だと言っていた。まさに憂慮の日本である。"He failth not"(「主は不正を行わない」ゼパニヤ3:5)と言いたい。

 果たせるかな、私たちの日曜の福音集会のメッセージは「私たちにはできないが、神様にはできる」であった。洋の東西を問わず、時代の先後を問わず、主の示される道を歩み続けたいものだ。

 末尾にJ・ダンソン・スミス氏の霊想を掲載している『荒野の泉』の1月14日の引用聖句を掲げておく。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
※2 あとでその方に確認させていただいて知ったことだが、私の推測どおりツィンツェンドルフ伯爵の言葉は『荒野の泉』所載だった。ただ、まさか元旦の日とは思わず、見落としてしまった。

 知らざる道に 神はわれらを導きたもう
 歩みは遅くとも上に導きたもう
 幾度か気落ちして立ちどまるとも
 よし暴風と暗さは日を隠すとも
   やがて雲の去りゆく時 
   神のわれらを進ませたまいしを知る

 事多き年月を越えて神はわれらを導きたもう
 夢の如き希望、疑いと恐れをうちすてて
 たどり難き迷路のただ中を導きたもう
 損失と 悲哀と 雲とざす路のただ中を
   われらは知る 御旨のなされしを
   かくてなお彼はわれらを導きたもう

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/10/blog-post_15.html
※4 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/01/blog-post_27.html

彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。(新約聖書 ヨハネの福音書10章4節) 

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