2017年2月2日木曜日

救いの喜び

ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ルカ15:10)

 親戚に98歳になるご老人がいらっしゃる。ところがここ数日お具合が悪いと言う。この方はカトリックの信仰を持っておられる。以前、自分は十戒を守れないから天国に行けないと真剣に悩んでおられるということを聞いた。

 早速、お訪ねしたいと思った。ところが確かその方は耳が遠いと聞いた覚えがある。果たしてお交わりは成り立つかと一瞬思ったりしていた。ところがその思いを打ち消さんかのように、今朝の『ベックさんのメッセージ』http://2chronicles16-9.blogspot.jp/の「教会の交わり」を聞き書きしていたら、それはとんでもないこちらの杞憂に過ぎないと思わされた。

 それと同時に2011年10月27日に87歳で召された一人のご老人のことを思い出した。召される前日ベック兄と一緒に病床を見舞った。その方は酸素マスクをかけておられた。耳は遠かった。やむを得ず、筆談になった。「イエス様、ごめんなさい。これで十分だ」という良き知らせであった。私はそのベック兄が話された日本語をそのまま書いて差し上げた。その方は喜ばれ、私の筆を取り上げ「これで十分だ」と書き、応答してくださった。たちまち病室に喜びが満ちた。

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