2017年2月4日土曜日

ああ、何と主の愛はおやさしいのであろうか

パリの幼な子たち
だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。(マタイ18:5)

 恐らく、幼な子ほど近づきやすいものはほかにあるまい。幼な子と心やすくなることは決して困難ではない。このようにイエスのみもとに行くことは、ああ、なんと容易であろうか。そして彼は、なんと単純にわれわれ
を迎え、ゆるしと受納と恵みとをわれわれに与えられることであろうか。

 疑い悩んでいる魂よ、あなたは幼な子の心にとどくようにたやすく、あなたの救い主を見出すことができる。多忙な母親よ、あなたは、あなたがさらに高い義務とみなすもののために思い悩み、いろいろな集会や、社会的な慈善、またはキリスト教的な奉仕などのために、はでに出席する余裕をもつ幸福な妹をうらやむであろう。そして終日育児にわが身を忘れて忙殺され、時には自分のエプロンにまつわりつく小さな子供たちに、うるさいあまり、つい短気を起こすような場合もあるだろう。

 しかしながらその時、あなたはこのことをおぼえてほしい。すなわち、幼な子たちに対するあなたの奉仕は、イエスに対する奉仕と同じように主に受け入れられていることを。彼ら幼な子たちは、イエスを代表するものである。彼らを愛し、彼らのために心を配ることは、とりもなおさず彼らとあなたの主なるイエスを愛し、イエスのために心を配ることにほかならない。

 以上は『マタイ伝のキリスト』(A.B.シンプソン著佐藤邦之助訳)の「キリストの代表者」と題する同書の164〜165頁の小文の抜粋である。明日は著者が有名と称しているセント・クリストファの伝説を引き続き紹介したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿