2009年11月9日月曜日

『塩狩峠』から


 先週の土曜日、ガン末期の状態で苦しむ畏友Aさんを見舞った。枕元には三浦綾子さんの『氷点』が置かれていた。上巻を読み終え、下巻に移るということ だった。その梗概を彼が私に話してくれた。すでに余命宣告を受けて一年経とうとしている。人生の晩年にイエス・キリストの福音に接し、信仰をいただき、今 またこうして枕元に『氷点』をひもとく幸せを語られた。そしてわが人生には「高慢」しかなかったが、聖書は唯一「へりくだり」の主イエス様を伝えてくれたと喜んで語られた。私もまた福音に接し、彼女の作品『塩狩峠』に深く感動した当時のこと、今から37年前にこの書物を手にしたことを思い出していた。

 2005年4月、痛ましい列車脱線事故が起きた。その当時従兄も某鉄道会社の責任を負っていた。いつもとちがい他人事に思えなかった。ために新聞初め多くのジャーナリストの見る目と一線を画しながら事態を眺める自分がいた。それから四年足らずJR西日本の事故調査に関する姿勢が次々明らかにされている。多くの鉄道マンは今の事態をどのように見ているのであろうか。以下小説『塩狩峠』を抜書きさせていただく

 塩狩峠はいま、若葉の清々しい季節だった。両側の原始林が、線路に迫るように盛り上がっている。タンポポがあたり一面咲きむれている。汗ばむほどの日ざしの下に、吉川とふじ子は、遠くつづく線路の上に立って彼方をじっと眺めた。かなりの急勾配だ。ここを離脱した客車が暴走したのかと、いく度も聞いた当時の状況を思いながら吉川は言った。

「ふじ子、大丈夫か。事故現場までは相当あるよ」

 ふじ子はかすかに笑って、しっかりとうなずいた。その胸に、真っ白な雪柳の花束を抱きかかえている。ふじ子の病室の窓から眺めて、信夫がいく度か言ったことがある。

「雪柳って、ふじ子さんみたいだ。清らかで、明るくて」

 そのふじ子の庭の雪柳だった。

 ふじ子はひと足ひと足線路を歩き始めた。どこかで藪うぐいすがとぎれて啼いた。最初信夫の死を聞いた時、ふじ子は驚きのあまり、自失した者のようになった。ふじ子は改札口で、たしかに信夫を見たと思った。信夫はふじ子にとって、単なる死んだ存在ではなかった。失神から覚めた時、ふじ子は自分でもふしぎなくらい、いつもの自分に戻っていた。大きな石が落ちたようなあの屋根の音は、まさしく信夫の死んだ時刻に起きたふしぎな音だった。改札口で見た信夫と言い、あの大きな音と言い、やはりふじ子は、信夫が自分のもとに戻ってきたとしか思えなかった。そして、そう思うことで、ふじ子は深く慰められた。
 ふじ子は、ふだん信夫が語っていた言葉を思った。

「ふじ子さん、薪は一本より二本のほうがよく燃えるでしょう。ぼくたちも、信仰の火を燃やすために一緒になるんですよ」
「ぼくは毎日を神と人のために生きたいと思う。いつまでも生きたいのは無論だが、いついかなる瞬間に命を召されても、喜んで死んでいけるようになりたいと思いますね」
「神のなさることは、常にその人に最もよいことなのですよ」

 いまふじ子は、思い出す言葉のひとつひとつが、大きな重みを持って胸に迫るのを、あらためて感じた。それは信夫の命そのままの重さであった。

 ふじ子は立ちどまった。このレールの上をずるずると客車が逆に走り始めた時、この地点に彼はまだ生きていたのだと思った。そう思うと言いようのない気持ちだった。だが彼は、自分の命と引き代えに多くの命を救ったのだ。単に肉体のみならず、多くの魂をも救ったのだ。いま、旭川・札幌において、信仰ののろしが赤々とあがり、教会に緊張の気がみなぎっている。自分もまた信仰を強められ、新たにされたとふじ子は思った。ふじ子の佇んでいる線路の傍に、澄んだ水が五月の陽に光り、うす紫のかたくりの花が、少し向こうの木陰に咲きむれている。

 ふじ子はそっと、帯の間に大切に持って来た菊の手紙に手をふれた。信夫の母親は、本郷の家をたたんで、大阪の待子の家に去った。大阪は菊のふるさとでもある。

「ふじ子さん。お手紙を拝見いたしまして、たいそう安心をいたしました。あなたが、信夫の生きたかったように、信夫の命を受けついで生きるとおっしゃったお言葉を、ありがたくありがたく感謝いたします。信夫は幼い時からキリスト教が嫌いでございました。東京を出る時も、まだキリストのことを知りませんでした。これはすべて、わたくしの不徳のいたすところでございます。ふじ子さんの純真な信仰と真実が、信夫を願いにまさる立派な信者に育ててくださったのです。
 ふじ子さん、信夫の死は母親としても悲しゅうございます。けれどもまた、こんなにうれしいことはございません。この世の人は、やがて、誰も彼も死んで参ります。しかしその多くの死の中で、信夫の死ほど祝福された死は、少ないのではないでしょうか。ふじ子さん、このように信夫を導いてくださった神さまに、心から感謝いたしましょうね・・・・・」

 暗記するほど読んだこの手紙を、ふじ子は信夫の逝った地点で読みたいと思って、持って来たのだった。
 郭公の啼く声が近くでした。郭公が低く飛んで枝を移った。再びふじ子は歩き出した。いたどりのまだ柔らかい葉が、風にかすかに揺れている。

(信夫さん、わたしは一生、信夫さんの妻です)

 ふじ子は、自分が信夫の妻であることが誇らしかった。
 吉川は、五十メートルほど先を行くふじ子の後から、ゆっくりとついて行った。

(かわいそうな奴)

 不具に生まれ、その間長い間闘病し、奇跡的にその病気に打ち克ち、結婚が決まった喜びも束の間、結納が入る当日に信夫を失ってしまったのだ。

(何というむごい運命だろう)

 だが、そうは思いながらも、吉川はふじ子が、自分よりずっとほんとうのしあわせをつかんだ人間のようにも思われた。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん」その聖書の言葉が、吉川の胸に浮かんだ。ふじ子が立ちどまると、吉川も立ちどまった。立ちどまって何を考えているのだろう。吉川はそう思う。ふじ子がまた歩き始めた。歩く度に足を引き、肩が上がり下がりする。その肩の陰から、雪柳の白が輝くように見えかくれした。やがて向こうに、大きなカーブが見えた。その手前に、白木の柱が立っている。大方受難現場の標であろう。ふじ子が立ちどまり、雪柳の白い束を線路の上におくのが見えた。が、次の瞬間、ふじ子がガバと線路に打ち伏した。吉川は思わず立ちどまった。吉川の目に、ふじ子の姿と雪柳の白が、涙でうるんでひとつになった。と、胸を突き刺すようなふじ子の泣き声が吉川の耳を打った。

 塩狩峠は、雲ひとつない明るいまひるだった。

(写真は彦根城大手門橋から眺めた風景。37年前の今日私どもに一人の男の子がこの城下の病院、ちょうど道路を走っているバスの奥にある病院で誕生した。今はこの病院も移転してない。2月撮影。)

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