2009年11月22日日曜日

神と偕に歩む生涯 クララ 


 「サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう」(黙示録3・4)

 よい習慣が品性という衣をきるように、真の信仰は必ず実践(歩み)という衣をまといます。生きた信仰に徹底した一人の人がいます時、世界は改革されます。

 十六世紀、あの腐敗した宗教界のただ中に立ちあがって「義しき人はその信仰によって生きる」と生命を賭して叫んだ信仰の勇者ルターによって世界は目ざめました。

 十八世紀の英国は機械文明の危機に際し、あわや血の革命が起ろうとした社会状態の瀬戸際に、ウエスレーのメソジスト運動が起り、英国は破滅より救われましたのみならず、生命の流れが世界をうるおしました。

 サルデスの人たちが白い衣をきて神とともに歩みつづけたとありますが、歴史に輝く信仰の勇者たちはみな神とともに歩んだ人たちです。ヤコブは「霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである」と言っています。

 主イエスは神の愛の証明者として僕のかたちをまとわれました。葡萄の木につながっている枝が実を結ぶように、主と歩む者は輝きます。

 エノクは神とともに歩んだと記されています。彼は大家族の中に在りて三百年、神に喜ばれる生活をしました。三百年と言えば世代もうつり、思想も変化し、言葉や信条を越えて生活の事実においてどんなに恵みを要し愛情の知恵を要したことでしょう。新約に教えられていますように、互いにゆるしあいなさい。互いに忍び互いに愛しあいなさいとは、家族生活の大切な法で、エノクは神とともに歩んだがゆえに勝利を得たのです。

 ノアの時代は悪い時代で悪が地にはびこり、暴虐が地にみち、恵み深い神も遂に洪水をもって滅ぼされたほど、悪の時代でしたが、ノアはその時代の流れのうちに在りながら、押し流されず神に従い、洪水の後人種の始祖となって、嵐にも風にも倒されませんでした。神とともに歩むならどんな時代にも勝てるのです。

 サムエルの伝を見ますと「わらべサムエルは育っていき、主にも、人々にも、ますます愛せられた」とありますが、サムエルは幼くて最悪な環境の中に送られました。エリの家庭の不道徳な息子たち、悪しき習慣のうちにある人々、まことに理想的でない環境の中に在りながら神の前に育って大いなる神の人となりました。大家族の中にも、悪しき時代にも、不信な環境にも信仰は勝利の力です。

 セント・パウロ寺院を建設中、一人の石工が厳密に寸法を正しく仕事しました。なぜそんなに寸法を注意するのかと問われました時、「神の宮を建てているのです」と答えました。私どもの信仰はやがて金の測りざおをもってはかられる時が来ます。神の聖言の寸法に無関心であってはなりません。日々の生活が聖言の実践の舞台であることを覚え、神と偕に歩みつづけ、どんな立場にも勝利者であり得ますように!

(文章は『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著11月21日の項より引用。写真は昨夕の古利根川。今や川は鴨とかいつぶりの天下だ。「河岸に 鴨並びたり 水の幸」)

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