2009年11月21日土曜日

結婚生活の意義(仮題) 畔上賢造


 以下の文章は畔上賢造氏がパウロのコリント人への第一の手紙7・25~31をテキストにして「時は縮まれり」と題して書かれたもののうち、附論として置かれた文章である。書かれた年代は大正12年から昭和4年までの6年間のいずれかの時期に書かれたものである。ほぼ80年前の文体は今の読者にとっては読みにくいと思うが、そのまま再録した。(『畔上賢造著作集第5巻』256頁以下)

 今や世界の混乱は日に増し甚だしく、不義罪悪はいたるところに横行し、道義は腐って泥土に塗れ、狂乱の舞踏全地に漲る。かくて人類はただ悪魔の冷笑と歓喜とに糧を送りつつあるに過ぎない。誰かこれをもって滅亡の前の乱舞狂踏と見なさざるものぞ。げに世の終末は近よりつつあるではないか。げに今は「現在の危急」を経験しつつあるではないか。げに「時は縮まっている」ではないか。さればパウロのこの戒めは、今において甚だ有力である。われらは今の時を知りて確信をもってするところの独身選取者に向かっては大なる敬意を払わねばならぬ。

 しかしながら、同時にわれらはすべての未婚なるクリスチャンに向かって独身をすすめることはできぬ。より重き責任に当たり、より大なる義務を取り、より深き経験を味わわんために、積極的の結婚生活選取をなすも、また大いに有意味である。無意味にして軽率なる結婚はむしろ為さざるを可とする。今や一時の感情を基礎として率急なる結婚生活に入り、百年の悔いを身に招くもの甚だ多い。かくの如き生活は、単純にして平和なる独身生活に劣ること万々である。人は妻を娶るとき、また人に嫁せんとする時は、慎(重細)密なる注意を要する。信仰と祈りとは第一に立つ。そして常識もまた充分に用いられねばならね。而して主の導くところに喜び従うの用意深からねばならぬ。人のすることなればわれもしてみんというが如き心をもってせられたる結婚は、全然無意味である。積極的なる確信に立ち、より重き責任に当たり、より豊かなる経験を味わい、よりよく神と人とに仕えんとの心をもってしてこそ、真にクリスチャンらしき結婚というべきである。

 私はアメリカ最初の東洋伝道者アドニラム・ジャドソンの結婚について思う。彼がビルマ伝道に志して、一小帆船に身を託して、当時の危険なる東洋航海をなせしは、なお未だ若き二十五歳の青年の時であった。この時彼はすでにアン・ハセルチンと呼ぶ二十四歳の婦人と婚約の間にあった。出帆に先立ちて二人は結婚し、その新婚の旅はカルカッタ行きの二檣(にしょう)帆船カラバン号をもってする大西洋およびインド洋上の航行であった。

 時は1812年の春いまだ浅きころ、最初のビルマ伝道に二人協力して当たらんがために結婚および新婚旅行をなしたのである。世にかくも意味ふかき結婚がかつてあったであろうか。しかもアン女史は外国宣教師ジャドソンの妻としてよりも、むしろ、自ら一個の外国宣教師として出発したのであった。そして米国においてはそれまでに、女性の身にして外国伝道のために国を出でし者一人もなかりしため、彼女の東洋行きについては世論囂々(ごうごう)としてこれを非難したのであった。当時にありては女性の外国伝道などは甚だしく生意気であると見られたのである(百年前の米国にこのことありしを知りて、われら今日のヤンキー・ガールを思うとき、失笑を禁じえないものがある!)。もって彼女の勇気を知るのである。かかる重き責任を分担せんための結婚ならば、よし囂々たる世人の反対あるとも、主の嘉(よみ)し給うところであることをわれらは知る。

 ジャドソンのビルマ伝道は幾多の苦難が伴った。若き妻の苦心もまた一通りではなかった。夫は誤解のために入牢し、彼女は身重の体をもって異人種の冷たき眼にとり囲まれて、全き天涯の孤客たりし間も永かった。ジャドソンのすべての努力において彼女はその補助者として働くこと十四年、遂に1826年10月24日、夫の不在中に病んで斃れた。時に三十八歳であった。二人の間に生まれし一女も間もなく世を去った。

 孤独の活動八年の後、ジャドソンは一宣教師の未亡人を娶りて再び家庭を造った。彼女また努力奮闘の性格を備えて伝道上に多大の貢献をなし、白人中ビルマ語に最も精通せる人として、彼の聖書の土語翻訳を助くること多大であった。しかも遂に疲労は病を持ち来りて、彼は彼女の回復を計るべく、一先ず相携えて本国に帰ることとなった。しかも夫のこの心づくしも空しく、船が孤島セントヘレナの沖を航行せる時に遂に彼女は斃れた。

 その翌年彼は米国において第三の妻を娶った。彼女は文学者として名ある婦人であったが、幼時より宗教的傾向強く、ことに一生涯に一度は外国伝道者たらんとの志を抱いていたため、遂にジャドソンの第三の妻となりて、ともに東洋伝道のために出発した。二人の結婚については、宗教界にも文学界にも賛成する者は一人もなかった。宗教家たちは、彼が小説作者の如き軽佻(けいちょう)の女を娶ることをもってその晩年の光輝を蔽うと難じ、文学者らは、彼女が年老いたる一外国伝道師に嫁してその天才を消耗するを惜しんだ。

 しかしながら外国伝道という共通の一目的のために結びて、二人の結婚は幸せであった。彼女また彼の良き妻として、彼の多難なりし晩年をよく助けたと言う。彼は三度妻を娶りて、何れも皆東洋伝道のための結婚であって、かかる積極的意味を持つ結婚なりしゆえ、いずれも幸いなる結婚たることを実証した。軽率にして無意味なる結婚をわれらは排す。クリスチャンはクリスチャンらしく結婚すべきである。

 以上が、畔上氏の文章である。私はこの著作集をKさんから今秋譲っていただいたが、この巻のみボロボロであり、形がくずれている。その上、多くはないが随所に薄く赤線が引かれていた。それだけこの本がよく読まれた証拠であろう。Kさんのお母さんは山梨で英語の先生をなさっており、畔上氏の弟子筋に当たる藤本正高氏の講筵に連なっておられた方である。ちょうどこの本の出版は昭和16年であり、前年ロンドン勤務のお父さんと結婚なさっていた。ご両親が互いに読まれたのではないか。

現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。たとい処女が結婚したからといって罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです。兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。(新約聖書 1コリント7・25~31)

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