2010年10月15日金曜日

第2日 路傍で出会ったジョージさん

 前回は思わず、フランクフルトからエジンバラへの飛行中のことに話が及んだが、実は成田からフランクフルト間こそ飛行時間12時間近くに及ぶ長時間の機内生活であった。乗客は日本人が圧倒的に多く、フランクフルト・エジンバラ間とは全く客層が異なっていた。その間ずっと私たちの隣に座っておられた方は一人の日本人女性だった。ところがその方と私たちが会話を交わしたのはほとんど終わり近くになってからだった。私たちには珍しいことだった。フランクフルトに降りる際にその方は家内に「お二人は研究者かと思いました」と言われたそうである。

 それには訳があった。スコットランド訪問に対して、事前にほとんど準備らしきものをしなかった私たちは、家内が「ノックスとスコットランド宗教改革」を、私は「Oswald Chambers: Abandoned to God」の一部をコピーして持ち込み、共通本としては図書館で前日借り出した「地球の歩き方 スコットランド&湖水地方」を持ち込んでおり、それらの読書に余念がなかったからである。もともと18切符愛好者にとって12時間弱の飛行時間はそんなに苦にならない。ましてスコットランドについては憧れこそ互いに持ってはいても、無知同然の初訪問であるから、読書にもってこいの時間と考え、隣の人と会話をする時間が惜しかったのである。だから隣席のご婦人がそのように言われても無理からぬことであった。でもキリスト者としては失格であると思った。イエス様のことをその方には伝えなかったからである。

 エジンバラに着いて次男夫妻に伴われるまま、夜間、市内を歩き回った。薄暗い夜間に、大きな石造りの古色蒼然とした建物がたくさんあり、灰色そのままで迫ってくるが、なぜか人の暖かさを感ずるのは私の独りよがりの錯覚であったろうか。次の日は日曜日、再び別の宿を取った次男夫妻と合流してホテルで4人でルツ記を互いに輪読しながら礼拝を持った。その後、本格的なエジンバラ訪問に出かけた。傘をしのばせざるを得ない天気のはっきりしない、しかも風も強い日であった。エジンバラ城に近づき、下ってはアダム・スミス、ヒュームの像の見えるあたりを歩いた。そしてパリへと帰路に着く次男夫妻とはその辺りで昼前に別れざるを得なかった。

 12月23日にやっと紙婚を迎える次男夫妻に別れ、ルビー婚の私たちはいささか心細さを覚えながらも足の向くままプリンセス通りを散策にかかった。ニュータウンとオールドタウンがその通りの両側に広がるが、私たちはまず本屋に入り込んだ。エジンバラのCLC(クリスチャン文書伝道団)の所在を確かめるのが目的であった。ところがこちらの英語力と、店員さんがそんな特殊な本屋さんを知っているはずもないということもあって、結局店頭では、要領を得た答も得られず、空しく外に出た。程ならずしてプリンセス通りのオールドタウン側、ウェイヴァリー駅から人々が上がってくるところに差し掛かる時だった。

 一人のスコットランド人の方が道行く人に何か語りかけては、文書を渡している。何となく惹かれて近づいてみると、様々なトラクト(伝道文書)を渡していたのだ。その上、私たちが日本人であることをすばやく見抜いて、簡単な「日本語聖書」を渡そうとされる。最初は未信者扱いをされていたが、私たちが自分たちの信仰を告白すると、路傍伝道はそっちのけで互いにキリスト者としての交わりになった。

 話してみると、仙台の知人も知っておられ、息子さんが日本人と結婚して北海道におられるという話も聞くことができた。再び家内がCLCの所在をこの方に尋ねる。するとその方はCLCは無いが、キリスト教図書を扱っている本屋が一軒あると言って、本屋の名前(B.McCall Barbour)と住所(28 George Ⅳ Bridge)を教えてくださった。その頃は、午前中の曇り空にも、時折陽が差し込み明るさが出て来るころだった。私たちの心にも、この不思議な、スコットランド人の一キリスト者との出会いを通して希望が湧いて来る思いがした。エジンバラではその後も中国人の観光客こそ見かけたが、日本人にはほとんどお目にかからなかったのに、この人は様々な人々が駅に乗り降りする場所で各国のトラクトを用意していたのだ。ギリシヤ語のものもある、と言う。通りすがりの人々の外見で判断し、とっさに文書を手渡すのだと言う。

 チェンバーズの評伝を書いたDavid McCaslandはその第五章冒頭で次のように書いていた。

ロンドンからの汽車が汽笛を鳴らしながら、プリンセス通りの華やかな庭園を過ぎ、ウェイヴァリー駅に向かって止まった時、オズワルドは「故郷」に戻った気分だった。彼はスコットランドを何よりも愛した。それは彼の生まれた国であった。彼はいつも注意深く自分の国籍はスコットランドであり、決して英国ではないと言い張っていたのであった。エジンバラ!オズワルドはどんなにこの街を愛していたことか。この街は暗く、時折、気分を滅入らせる外見を見せるが、そこには人々と神にとって何よりも偉大な記念建造物があったからである。※

 時移り、チェンバーズの歩いた街を知り、少しでもチェンバーズの歩みを感じたいと思っていた私を招いてくれたのはこの一人のスコットランド人の方であった。そしてその場所がまさしくMcCaslandをとおしてチェンバーズの故郷入りが印象深く描かれたウェイヴァリー駅、プリンセス通りの庭園近くであったことに、この無計画な旅に対する主イエス様による天の配剤を思わざるを得なかった。私たちはお互いに名前を言い合い、祝福を願って別れた。

ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように。」と答えた。(旧約聖書 ルツ記2:4)

(※引用文章は「Oswald Chambers: Abandoned to God」47頁。写真はプリセス通りのluxuriant gardensの一角で見た花園。空は曇っていたのに、この明るさは何なのだろうか。まさしくluxuriantそのものだ。)

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