2010年10月27日水曜日

第11日 栄光の主を仰ぎ見る喜び

(ナナカマド スコットランド・エジンバラにて)
いよいよ、最終日第11日目(現地10/12Tue)について述べる時が来た。この日は集会も何もなく朝早くから二コースに別れ、チューリッヒ空港、ミュンヘン空港へ向かい帰国への旅路を急ぐことになっていた。現地にはなお30名の方が残られ、引き続いて日本から来られる後半のグループの方と更に一週間「喜びの集い」を持たれることになっている。朝8時の出発を控えたあわただしく、気ぜわしい早朝、去る者、留まる者を問わず集まり、祈り会がこの日も持たれた。ただ6時15分から始まる早朝の祈り会に果たして人々は集まって来れるのかと思ったが、ほとんどの方が集まられた。30分間、それぞれが賛美し、聖書のみことばを味わい、出席者が輪になって心を合わせ祈った。一人でできないことも、友と励ましあいながらできることがある。期間中途中からではあったが実施され、良き習慣となったこの祈り会は、私たちにとって大きな財産となった。

去り難いフィリンゲンの宿舎であったが、台所などで奉仕されたシュベスター(英語でシスターに当たる)や現地に残る人々の暖かい見送りを受けて私たちは一路日本へとそれぞれの空港へ出かけた。私たちの帰りのコースはミュンヘン空港に向かうものであった。宿舎からは4時間ほどかかった。最初はボーデン湖畔を走り、その後南ドイツの平原を横断する旅であった。車窓の両側には黄葉した樹木や延々とぶどう畑やりんご畑が展開し、黒いぶどうの実、赤いりんごがその緑野に彩を添えて点在する。私のこの感覚は、ドイツ人が日本の水田風景を見て感嘆することがあるとしたら、その感覚と好一対をなすものではないだろうか。

空港に着き、およそ12時間ほどの飛行時間、考えることはこの12日間の旅のすべてであった。一つ一つの事象は風の如く飛び去って今や記憶のかなたにある。しかし主なる神様が生きて働かれるお方であることは旅の前と後とでは大いに異なって、私にとってよりリアルな実在感を持って迫ってくるのであった。長い長いと思う空の旅はどなたも経験されることと思うが、帰りは、「帰心矢の如し」のことばのとおり早いものだ。成田空港に無事到着した折には再び日本の雑然とした風景の中に放り込まれた思いがしたが、これこそ現実だと思い歩足を強める。

到着ロビーを歩く時、「喜びの集い」でお声をかけたかったお一人で中々お交わりする機会のなかったその方から、思いもかけないことばをいただいた。「○○さんは真珠婚だったのですね。おめでとうございます。実は私たちもそうなんですよ。夫は13年前に亡くなりましたが、1970年の10月に結婚したのですよ」という言葉だった。確かに家内は自らの証の際に少しだけこのことに触れた。それを聞き知られたのであろう。しかし、ご自身の悲しみ、寂しさを越えてこのように祝福してくださることを嬉しく聞くことができた。出発する前にはただ結婚40周年(1970.4.26)だと周りの者に言われ互いに出てきたが40周年に呼名があること、しかもそれが「真珠」という素晴らしい名前を冠していることをこの時初めて知った。その後、ネットで調べてみたら、実際はその方の勘違いで真珠婚は30周年で、40周年はルビー婚だと知った。

今回の旅は私たちは口で言うほど特別自分たちの結婚40周年を意識していたわけではない。しかし、このお方の何気ない言葉を通して、旅の間ずっと気になっていた、ご主人を亡くしたり、様々な事情でご主人と別れたりして一人淋しく参加されているが、ともに主イエス様に愛され愛する方々が多くおられることを思った。また体のご不自由なご主人がいかに手厚い奥様の介護のもとで行動されているか、また同じように体のご不自由なご婦人がまわりの方の助けをいただきながら行動されるかをつぶさに見させていただいた。たとえどんなに夫婦が健在であってもいずれの日にかその関係は解消される。その時私たちはそれらの方々の寂しさを本当に自分のものとすることができるのだろう。

病を押して参加され、先週木曜日後半の「ドイツ喜びの集い」を終えてお帰りになったベックさんは今日入院されることになった。そのベックさんが、「大変ですけれど嬉しい」と題して、昨日、次のみことばをもとに新築なった吉祥寺の会堂でメッセージされた。

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだますように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。(2コリント6:4~10)

そしてメッセージを閉じるにあたり、一つのバッハのエピソードを紹介され、次のような意味のことを語られた。それは召される直前バッハは目が見えなくなったが、ある時目が見えたそうだ。その時奥さんが一輪の美しい薔薇を示し、「あなた、この薔薇が見えますか」と言われたら、「見えるよ」と言い、続いて「お前と私がもうじき見るであろう薔薇に比べたら、この薔薇は言うに足りない。もうじきお前と私が聞くであろう音楽に比べればこの世の音楽は言うに足りない。そして私はこの目で主、イエス・キリストご自身を見る。」と答えたそうです。これこそ信仰の確信に満ちたことばでないでしょうか、と。

お聞きしていて目頭が熱くなった。これは病の中、何よりも主イエス様の再臨に備え、天国を仰ぎ見るベックさんの信仰のすべてを物語っているからである。このことを事、私たちの結婚というものに当てはめて考えるなら、たとえ、地上での結婚の恵みがどんなに素晴らしくても、どちらかが先に召されれば、その喜びはいずれは崩れ去る。しかし永遠の天の御国に住まう確信を夫婦がともに備えているなら、その喜びは永遠に続くことを証している。そのようなご夫婦にとって目に見える現実(地上での一時的な別れ)は取るに足りないと言えるのだ。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:18)


もし年数だけで私たちがルビー婚を自負しており、堅固な主イエスキリストの十字架に信頼する信仰の上に立っていないなら、それらは砂上の楼閣に過ぎない。これが、愚かな私たち夫婦にベックさんを通して与えられたみことばの真理であることを証してこの稿を閉じる。長い間愚考につきあってくださった目に見えない読者の方々に同じ神様の祝福がありますようにと祈るばかりである。

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