2010年10月26日火曜日

第10日 二人して40キロ以上

(フィリンゲンの城壁の塔に描かれた騎士)
子どもたち五人の祈りと愛のささげものによって、はるばるヨーロッパまで来ることのできた、今回のヨーロッパ訪問も、いよいよこの日の「喜びの集い」が最後になった。午前中と夜と二度の集会があったが(後述)、昼間は宿舎から出てフィリンゲンへ繰り出し、それぞれ最後の観光と買い物に時間を費やした。

ところが「ルビー婚」を自他共に認める私にとっては中々この時は苦い時となってしまった。午後の出発時点で私が家内とは別行動を取ってしまったからである。私自身は家内の足が痛んでいるから一緒に行動することを最初から諦めていた。だから、多くの人々の一人として家内がバスで乗り込んだのに、数人の方とフィリンゲンへの徒歩行をともにしたからである。何年か前、家内と家内の高校時代の同級生3人とともに5人でフィリンゲンまで小川を見ながら散策した思い出が忘れられなかったからである。

結局5、6人の方との楽しい散策の後、辿り着いた午後の数時間はフィリンゲン特有の城壁に囲まれた囲域(決して広くない)を歩いているに過ぎず、他の方々とは何回もお会いするのに、なぜかその間家内と一度も会うことがなかった。会うことができたのは観光も終わり近くなって、バス停に人々が集まって来た時であった。家内は別のご婦人と一緒で楽しそうに、それぞれ大きな買い物袋を提げての姿で現われた。その時、家内にすべて買い物を押し付け、その上、重い物をずっと持たせ続けてしまったことを知り、私に初めて悔恨の思いが湧き上がってきた。せめてもの穴埋めとばかり、すぐ走り寄って早速買い物袋を持ち、帰りは一緒にバスに乗って帰ってきた。

(家内と再会した場所に咲いていたバラ)
私たち夫婦は、100人の方々とそれぞれ親しくなりたいと、思っていた。もちろん、それらの方々の多くの人々とは日頃からお交わりをいただき親しくしていただいているが、全く初対面の方も数えてみれば20数名いらっしゃった。だから、夫婦別行動になるのはお互いの間で最初から暗黙の了解であった。そのこと自身には悔いは残らないが、夫として配慮が欠けていたと思わざるを得なかった。

振り返ってみれば、午前中は二人の方がメッセージしてくださったが、その中でイエス様の次のみことばが語られていた。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13:34~35)

その方は、私たちの互いの間にその愛が流れてくるように、私たちは十字架の主イエス様に従い、祈り求めるべきだ。そしてそれが御霊の一致であり、それは決して夢物語でなく、同じ御霊から流れ出てくる主イエス様の具体的な愛の表われであると語られた。そして、そのような愛の体験をさせられる者とは、もう一人の方が引用してくださった次のみことばのように自らの心の貧しさを心底自覚している者ではないだろうか、と思わされた。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ5:3)

集会、観光、食事と様々な場面で、私たち100名の者は互いに、このように自分のありのままの姿をさらけ出しながら、一方で日毎にささげる祈りと日々与えられるみことばを通して一人一人が確実に変えられて行くのがわかったのでないだろうか。最後の夕食となったメニューは今となっては忘れてしまったが、繰り返し訪れてくる食事のたびに各自が皿を持ち、自分の好きなものを乗せ、テーブルに戻っては、口にパンや肉をほおばりながら、食事のたびに組み合わせの変わる方々と交歓を楽しみながら、日々語り合う至福の時であった。

この日、夜に持たれた最後の集会では、この集会に10人余の人が参加された一家族の方々によるメッセージと証が行なわれた。一家の家長である兄弟が引用されたみことばは「主の祈り」のところであった。

みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイ6:10)

家長の方のこの祈りは、ご自分の姉君夫妻やもう一人の姉君の参加になり、一方二人の子どもをかかえる働き盛りの若夫婦の参加となった。それだけでなく、お嬢さんの姑さん、またご友人も参加されたのである。それらの人々を前に正直に、それぞれ両親夫婦、娘夫婦の家族建設に至る蹉跌と主にあるあわれみ祝福がある時は涙を交えて語られた。

長かった私たちの海外旅行第10日目(現地10/11)もこうして終わり、この後、部屋に戻り明日の出発のためにパッキングに入った。。くれぐれも20キロは越えないようにと言われたが、私の方がややオーバーして、何とか2人合わせて40キロに納めた。しかし私たちが受けた祝福は40キロ以上であった。

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