2011年12月5日月曜日

ああ、クリスマス

St. Leonhard Adbentmarkt by Keiko.A
(シメオンは)主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。(新約聖書 ルカ2:26)

 この個所は、もう一度味わってみるべき重要なみことばだと言えるでしょう。すなわち、ここには、ひとりの人が、信仰の光へと導かれるための、ふたつの力について語られているからです。このふたつの力とは、聖書と聖霊です。

 シメオンの場合と同じことが、信仰に導かれるすべての人に起こります。聖書によって、人は、神が我々の救いのためになさることを知ります。聖霊によって、その救いは、我々に個人的に語られます。

 聖書は、「神の御怒りは、人のすべての罪に対して燃やされる」と告げます。御霊は、「あなたは神の御怒りのもとにある」と知らせます。だから、人は、自分の救いを心配するのです。

 聖書はすべての人に向かって、「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」(ルカ2:11)と言っています。御霊はあなたに、「神の御怒りからあなたを救うお方が、あなたのためにお生まれになった」と知らせます。

 聖書はイエス・キリストの十字架を指して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と申します。聖霊はこれを、痛む良心に向かって、こう語ります。「見よ。あなたの罪を取り除く神の小羊」と。

 我々がイエス・キリストへの信仰に至るために、神のみことばと神の御霊がともに働きたもうということは、なんと素晴らしいことでしょう。

 「信じられるようになるには、いったい何をすればよいのか」という問いは、幾たびとなく繰り返されました。答えは、これだけです。「みことばを読み、同時に、聖霊の光を求めなさい。」

   主よ! みことばと御霊が、このように働いてくださることを、
   感謝します。
                                     アーメン

(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本訳12月5日より)

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