2011年12月20日火曜日

恐るべき方がどうして見ばえもないお方に?

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」(新約聖書 マタイ21:9)

 我々は、イエスのエルサレム入城の際の大群衆にたまたま巻き込まれた、ローマの大新聞の記者がいた、と想像してみました。さて、彼はこの事件をぜひとも報道したいと考えたことでしょう。しかし、残念ながら、まるでわからないことだらけでした。「ろばに乗っておられる方が、神から遣わされた世の救い主だ、と預言されていたお方ですよ」とだれかが教えてくれた以上、何もわかりませんでした。

 さて、私は想像するのですが、記者は、喜び叫ぶ人々のひとりをつかまえて、そっと尋ねます。「この、世界の救い主は、少し哀れすぎはしませんか。」

 すると、イスラエルの人は笑いながら答えます。「でも、それがあの方の一番素晴らしいところです。神は偉大で恐るべきお方です。シナイの山で我々の先祖たちと話そうとされたとき、彼らは逃げ出したほどです。その大いなる神が、ご自分を低くされ、このイエスにあって地上にお見えになってくださったのです。私は、自分の子供たちをイエスのみもとに連れて行きました。イエスは彼らを祝福してくださいました。よくお考えなさい。こんなにご自分を低くされることこそが、イエスの一番素晴らしいところなんです。」

 記者はさらに尋ねます。「いったいなぜ、あなたがたはそんなに喜ぶのですか。あなたがたの境遇は、イエスのおかげでどれほどかよくなったというわけでもないでしょう。」「とんでもない。まるで変わりました」と男は叫びます。「私は、神から遠い者で、しかもその御怒りのもとにあった者です。しかし今は—このイエスが、私を神の子供としてくださったのです。さあ、では私は、イエスのあとについて行かなければなりませんので。さようなら。」
 
 ローマ人は、よくわからないというような顔つきで、あとに残されます。

  主よ! あなたを知り、あなたに知られて、あなたを喜ぶ群衆の中に、
  我らをもお加えください。アーメン

(『365日の主』ヴィヘルム・ブッシュ著岸本訳12月20日より)

0 件のコメント:

コメントを投稿