2020年7月10日金曜日

孫への手紙(上)

            
 Eちゃん。5さいのおたんじょうび、おめでとう。いつのまにか、ずいぶんおおきくなってしまったね。このてがみも、ひらがなだから、よめるんだよね。こえにだして、よむといいよ。じいじのこえがきこえるよ。

 このまえは、じいじ、こころのなかで、びっくりしてきいていたよ。

 おぼえているかな。じいじが、みずどりのしゃしんをこのパソコンでみせてあげたときのこと。Eちゃん、いったね。「このまえ、ようちえんのちかくのいけで、カタツブリというとりをみたよ、でも、こんないろじゃなかったよ。もっとちゃいろいいろだった。」じいじはうっかりしてききわすれたが、もっとずいぶんくわしくはなしてくれたね。

 もちろんEちゃんが「カイツブリ」を「カタツブリ」といいまちがえていることは、じいじにはすぐぴんときたが、Eちゃんがよーくかんさつして、せいかくにおぼえておはなしできることにびっくりしたんだ。

 Eちゃんがせんせいになり、いもうとのMちゃんやいとこのUちゃんにいっしょうけんめい、なまえやとしをいわせ、おうたをおしえたり、はっぴょうさせたりしてたのしんでいるのも、かわいらしいね。

 それからばあばといっしょにおえかきやおかしづくりもさいごまでできるようになったね。なにもできなかったあかちゃんのEちゃんがここまでおおきくなったことをじいじもばあばもイエスさまにかんしゃしているよ。

 でも、きになることもあるんだよ。きのうもUちゃんばあばがきたとき、「Eちゃんあたまはよいが、このごろくちがわるくなってきたんじゃないだろうか」ってしんぱいしていた。じいじもハッとしたよ。Eちゃんがだんだんおおきくなってかしこくなってきたことをかんしゃしていたが、もうひとつわるいこころもじっとしていないのだなとおもったからだよ。

 じいじのすきなイエスさまはね、どんなひとのくちもわるい、Eちゃんだけでなく、じいじもばあばのくちもわるい、それがひとをきずつけるんだよ、といわれるんだ。でもねイエスさまはね、わたしたちみんなのくちのわるさをなおしてくださるおかたなのだよ。

 イエスさまはみんなのわるいこころをなくすために、みんなのかわりにわるいこころのばつをじゅうじかでうけてくださったのだよ。だから、もしわるいことをいってしまって、わるいとおもったら、イエスさまごめんなさい。わたしのわるいくちでなく、イエスさまのよいくちをください、といのってごらん。きっとそのいのりをイエスさまきいてくださるよ。

 Eちゃん、もういちど、おたんじょうびおめでとう。

もし、わたしたちがじぶんのつみ(こころのなかでわるいとおもったこと)をいいあらわすなら、かみはしんじつでただしいかたですから、そのつみをゆるし、すべてのあくからわたくしたちをきよめてくださいます。(1ヨハネ1:9)

(この項目は2008年8月20日に「泉あるところ1」ですでに公開したものですが、今では見られなくなっているので写真〈南ドイツ・フィリンゲンにて2010.11.2などを再編集して掲載しました。)

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