2020年7月11日土曜日

孫への手紙(下)


 えみちゃん。6さいのたんじょうび、おめでとう。いちねんまえのこのブログに、5さいのときのえみちゃんのようすがかいてあった。それをみて、またこの1ねんのあいだにすっかり成長(せいちょう)したんだなとおもったよ。このまえあったとき、あうなり、えみちゃんが、「じいじとあうのはひさしぶりね」といったのにはびっくりしたよ。それから「としとったね」ともいったね。

 こんかいは四日(よっか)ほどいたんだっけ。しょくじのたびにじいじがおいのりするときも、しずかにしていられるようになったね。それだけでなく、ばあばがいうには、おいのりのおわりのときに「アーメン」というようになったそうだ。まえから、きみちゃんが「えみちゃんは日曜学校(にちようがっこう)のおはなしをしっかりきく」といっていたので、じいじもうれしかったよ。ばあばにいわせると、えみちゃんはしゅうちゅうできる子(こ)だそうだ。

 このまえも、パレットをつかって、おえかきや、そめあそびをして、たのしかったね。そのパレットのよごれを、かえるときには、きれいに水(みず)でぬぐって、すみずみまできれいにしていたね。じぶんからすすんできれいにしたいとおもう心(こころ)はたいへんすばらしいよ。おとうさんおかあさんに、プールにつれていってもらい、およげるようになったり、なしがりもして、たのしいなつやすみだったね。

 じいじが、こんかい、えみちゃんにまなばされたことが一つある。それはいつのしょくじのときだったか、じいじが、パパのちゅうがっこうのときのあまりよくなはなしをし、みんなもそのはなしにのっていたとき、えみちゃんが「みんなそんなことをいってたのしいの?」といったことだ。じいじは一本(いっぽん)とられた、とおもった。むかしのことをいうより、これからのことをかんがえたほうがどれだけたいせつか、ということをいつもイエスさまからおそわっているのにね。

 らいねんの4がつにはしょうがっこうにはいれるね。そうしたらじいじたちのように「聖書(せいしょ)」もじぶんでよめるようになるよ。ほんのだいすきなえみちゃんが、じぶんでせいしょがよめるように、じいじはこれからいのることにするよ。たんじょうびおめでとう。せいしょのことばをおくります。

だれでもキリストのうちにあるなら、そのひとはあたらしくつくられたものです。ふるいものはすぎさって、みよ、すべてがあたらしくなりました(しんやくせいしょより)

(しゃしんは、このまえ、じいじが、きみちゃんのくるまにのせてもらって、ばあばといっしょにみてきた、たかみねこうげんのおはなばたけだよ)

2009年8月20日「泉あるところ1」より転載

2 件のコメント:

  1. 愛するお孫さんへの、素敵なお手紙ですね

    私に絵心があったら、挿し絵を描きたいです。

    優しい心温まる絵本になりますね。

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  2. 素敵なコメントありがとうございます。せいこさんも挿絵を描いてみたらどうですか。きっとすばらしい作品になりますよ。

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