君は聖なる御子イエスさまの足跡にしたがいたいとほんとうに思っているの。神様にもっとイエスさまのようにしてくださいと求めたことがあるの。今日始めてみるつもりはある? それなら、ここに今日の標語、「キリストも、ご自分を喜ばせようとはなさいませんでした」があるよ。そのことばどおりイエスさまのまねをしてみない?
標語どおり行なって、他の人たちにだけでなく、君の好きな救い主イエスさまに、君が言ったり祈ったりして、しようと思っていることがはっきりする機会が君にはきっとたくさんあると思うよ。
多分、君にとって、この「モーニング・ベル」はチャイムでなく、むしろとむらいの鐘となって憂鬱になるかもしれない。でも、もし君がほんとうにキリストのようになりたいと願うなら、この「モーニング・ベル」はどんなものにも劣らない快い音楽であり、静かなチャイムが繰り返し繰り返しすばらしい心良さと力をもって君を訪れ、あらゆる困難なことから君を助け、すべての罪や思い煩いから助けてくれることがすぐにわかるよ。
君は自分で真剣に努力してみない限り、少女が実際にどんなに幸せを感じることができるかは話せないと思うよ。少女は自分自身が好んでいたものをイエスさまのために元気よくあきらめたのよ、そしたら幸せになったと言う。少年もまた自分自身の自由な意志で神の恵みによって選び取ったことがどんなに幸せになることができただろうか。少年は自分自身を喜ばせる代わりに主イエスさまを喜ばせたいと良心が命ずることを選んだのだよ。そうしたら幸せになったんだ。
もしまだそんなことを試みたことがないというなら、今日始めてみない? 君はまったく新しい幸せを見つけられるよ。
ああ、もしキリストがご自身をよろこばせるだけで私たちを救うために降りてこないでご自身の栄光ある天の家にとどまっておられたら、私たちはいったいどうなったでしょうね。君がイエスさまに喜んでいただく代わりに、自分を喜ばせたいと誘惑されるような時になったらそのことを考えてごらん。そして、イエスさまは君をたいそう愛されたから、ご自身をよろこばせなさらなかったということを思い出すんだよ。それは君がイエスさまをよろこばせ、イエスさまのために他の人たちをよろこばせる手助けにきっとなるよ。
もしイエスさまの血潮で洗ったら、
その時、イエスさまの似姿も身につけよう
そして前に進む時には
「イエスさまは何をなさりたいのか」と尋ねてみよう
完全に自由な手を差し出してごらん
神様は君に自由に与えてくださるから
それぞれわがままな思いをやめて
「イエスさまは何をなさりたいのか」と問おう
(昨日に引き続いて、F.R.Havergalの「Morning Bells」 の試訳、私訳です。ハヴァガルは私の尊敬するイギリスのキリスト者です。彼女も決して長生きはしませんでしたが、その考えることはいつも主の御栄光でした。そのため、このように子どもたちのために朝のみことばを30日間一組で書き表しています。夜は夜で「Little Pillows」として書き表しています。この邦訳「小さな枕」は大正4年に白井さんの手によりなされています。残念ながら表現が今のこどもには理解できないところがあります。しかし、すばらしい白井さんの作品だと私は今でも思っています。「Morning Bells」はそれ以上に残念なことは邦訳がありません。それで恥も外聞も顧みず、試訳・意訳をしております。また、この機会に、2016年その伝記を一部中断していましたものを折を見て載せさせていただきます。ご愛読、ご感想を切にお願いします。写真は7月初めに友人からいただいた絵葉書を使わせていただきました。)
0 件のコメント:
コメントを投稿