2010年3月24日水曜日

四、世界の中心


 その頃は明治三十八年の春である。滋賀商業学校に名物男があった。それはボーィと綽名された、助教諭で背の高くない、身体の割合に首から上が重そうに大きくみえ、歩行の時にユラユラと前後にその頭をふるので学生の注意を、一身に集中したM君である。

 紀州和歌山の人で、大阪の書籍店の小僧をしていたが、近江商人の風をしたって八幡まで勉強にきたのだそうだ。比較的年がふけていたのと、堅実な努力主義の人であるので同級生の尊敬を受けていた。優等で卒業すると、直ちに校長Y氏の勧誘で母校にいすわり、英語科の助教諭となったのだ。
 M君の机の上には、バイブル、内村鑑三著求安録、同基督教信徒のなぐさめ、木下尚江著火の柱、平民新聞、聖書の研究、新人等の書物や雑誌が常にのっていた。
 M君は前英語教師アボット時代からキリスト教に帰依して、土地の組合キリスト教会の信者になっていたのだ。

 ヴォーリズさんは、学生達の倶楽部として、その一ヶ月家賃三円の暗い家を提供して、腕白連を歓迎し「おとなし屋」連に英語の課外授業をしているうちにM君を発見した。
 『ユー、カム、エンド、リヴ、ウイズ 、ミ』
 『ウム・・・』
 M君は頭の中で日本語で文句を考えた。英文典、上、中、下編の公式を定義として、和文英訳しかも美文?を作って後、口外に発表する人であった。
 『なるほど、ヴォーリズ君は俺と同居したいんだな、どう返事をしようかしら、「川止めに渡し舟」はちょっと英語にならんし、「待ってました」は露骨すぎるし、無難間違いなしは「サンキュー」だなあ』と考えたかどうかは保証の限りでないが『サンキュー、ありがとう』と彼は直ちに一決に及んだ。

 M君はその頃寝てもさめても太平洋の波の音、星とダンダラ染の三色旗の国を夢みていた。その友人は既にヨルダンの彼方―乳と蜜のしたたる北米の天地に青雲の志を遂行しつつあるのだもの。
 M君は実力実力と、己によくいい聞かせて努力した人だ。そして人なき森に、寄宿舎の舎監室に、学校の当直室に、熱い涙を湛えながら祈ったそうだ。

 『天地の神、我等のお父様、湖畔の天地は暗黒です。学生は性欲の奴隷です。酒と汚れと金のために、サタンのものとなりつつあります。外国からでもよろしいから、精神界の巨人をこの八幡に遣わしてください』と。

 M君の手荷物や夜具類全部は、ただ一回の手車で、ヴォーリズさんの家に運ばれてしまった。宿替えは簡単であった。
 ヴォーリズさんの当時の筆記を今になって出してみると、
 『私の八幡町に落ちつくようになったのはM君の祈りと神の計画から、そうなったのです。最早日本―近江―八幡町は世界の中心です』

 著者は往年、英京ロンドンの中心トラファルガー・スクェアーのグランド・ホテルの一室に、一英国紳士と話したことがある。その時、その人の話はこうであった。
 『君の友人のヴォーリズ君は、先年ロンドンにきて、私の教会で演説をたのんだ時に「世界の中心は近江八幡マチにある」といっていたよ。私達はそれだから、世界の中心は、ずいぶん探すのに骨が折れる筈だというて笑ったのさ』

 地球が完全球であれば、どの点でも、ある中心になることができる道理である。学者が地球は球形ではない、みかん形であって両極が引っ込んでいるというても大体は球で通用する。紺碧の大空に輝く大熊星座のつくる大柄杓の先は、北極星をさすと極まったものである。綿密に計算して、真直線にさしていないと、揚げ足をとるのも変なものだし、閑もかかるわけである。

 ヴォーリズさんは、よく諧謔を談話に交える人である。その語呂合わせ、日米混淆は天下一品である。
 『飲み水は蚤水です。日本の西洋料理屋では、サイダーを売るために少しばかり、蚤の飲み水ほどしか持って来てくれないです。蚤は英語でFleaだが、日本ではFreeと発音するから日本では飲み水を、ただくれそうなものですね』といったような事に笑い興じることがある、が然し、この世界中心説は丹波綾部の世界中心説より、慥に確実で宗教的に真面目である。

 ヴォーリズさんは明治三十八年から、今に至る三十数年近江八幡を動かない。そして今後死に至るまで永住する、そして自身の墓地もすでに選定して、美しい湖岸で昔の代官屋敷を二反歩買い込んである始末。
 何故近江八幡がヴォーリズさんの世界の中心であるかは、この物語が回を重ねて説明するところであらねばならぬ。
 とにかくM君とヴォーリズさんは同居することとなった。

 以上が第四章「世界の中心」(『近江の兄弟』吉田悦蔵著11~15頁より引用)である。文中のM君の祈りは、聖書中のマケドニア人の嘆願を思い出させる。

ある夜、パウロは、幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(新約聖書 使徒16・9~10)

 今日の写真は現在展示開館中の谷口幸三郎氏の作品である。題は忘れた。

0 件のコメント:

コメントを投稿