2010年3月8日月曜日

11章 THE GOSPEL IN SONG (3)


 サンキー氏はスコットランドを訪れるまでは礼拝に必要な賛美歌を作曲したことはなかった。彼の処女作はボナー博士の美しい詩「Yet There is Room(まだ部屋があります)」のための作曲であった。二作目の賛美歌は「I’m Praying for You(わたしはあなたのために祈っています)」であり、すぐに広がり、今でも世界のあらゆる地域で、特に福音集会で演奏され歌われている。彼は多くの賛美歌を書き続けたが、そのうちの数曲は明らかに様々な形で用いられている。これらの中には次のようなものを上げることができる。「汝のうちに隠れて」「イエスに信頼せよ、それがすべてだ」「靄が過ぎ去るとき」「嵐の時の避難所」「時が過ぎ去りつつあるのに」「御翼の下で」「信仰は勝利」「もはや暗き谷はない」である。

 彼は偉大な作曲家でもなかった、また指揮者として傑出していたわけでもなかった。しかし、ソリストとしては音楽と音楽家を二つながらつかみ、聴衆に真実で明確な印象に残るメッセージを届け、かつそのメッセージを各自の心に植えつけることに成功した。サンキーの歌声に耳を傾けると人々は歌い手のことを考えずして、歌だけを考えることができた。何千という人々が彼の賛美歌のおかげで心をキリストに明け渡すことができた。多くの人がサンキーが歌うのを聞きたさにやって来ては、結果的にムーディーの説教を聴いたのだ。そして説教では動かされなかった多くの人々が歌によって心動かされた。様々な人々から構成されている群集は音楽をとおして心が耕され、引き続いてなされる聖書のメッセージに心を開いて耳を傾けることができた。

 サンキー氏はムーディー氏のあらゆる計画に協力を惜しまなかった。求道室で皆と一緒に奉仕したり、歌手たちの働きに参加し、ボランティアとしてはクワイアの指揮もやった。彼は大柄の体格の持ち主であったが、同時に大聴衆を直ちにひきつける特別な賜物を持っていた。ムーディー氏のようにユーモアのセンスを持ち、話好きであった。彼は話すのが好きだったので、よく自分のソロには前置きの話をしたものだ。それでムーディー氏は氏の話が長くなりすぎるのを心配して、聴衆に次のように言って楽しませたことがある。それは彼が各自に与えられている「賜物」に関する説教をし、めいめいがそれぞれの賜物を用いるようにと勧めた時のことだ。サンキー氏の長所に言及しながら、「世の中には説教できる人もいれば、歌を歌える人もいるものだ。たとえば、私は良く歌を歌えないが、説教はする。サンキーは説教はしないが、歌を上手に歌う人だ」という具合に。

 サンキー氏はイギリスの大きな集会のすべてや、またアメリカの最も重要な伝道に必ずムーディー氏と一緒だった。彼は「福音聖歌」を次から次へ編纂し発行するのに貢献した。それらは印刷に回されては何百万冊も販売された。これらの本からあがってくる印税からかなりのお金を彼は受け取ったが、彼の自伝によると、彼は自分の故郷の町ニューカッスルにAssociation(協会?)の建物を建設し、「昔の教会」のために「美しい一帯」を購入した。
 
 彼はムーディー氏より九年長生きしたが晩年は体をすっかり弱くし、完全に失明する暗黒も経験した。彼が眠りにつき、自らの歌の示すとおりの「靄が過ぎ去る時」という幻を抱いて召されたのは1908年の8月であった。彼が始めたころは福音聖歌を歌ったり書いたりする方法は全然なかったが、彼のおかげで世界中に福音聖歌がはやり、もっとも広範囲の人々に影響を与えたのであった。

 ムーディー氏とサンキー氏は二人三脚であったのでないだろうか。彼らの友情を思って、今日は旧約聖書中に記されている、次のダビデのことばを掲げる。

あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。(2サムエル1・26)

(上記主文章は『D.L.Moody』by C.R.Erdmanの109~110頁の意訳である。写真はサンキー〔1840-1908〕氏である。彼の作曲になるものは日本の聖歌には全部で7曲収められている。243、405、429、463、490、514、606がそれである。この中で606番が彼の二作目の作曲「I’m Praying for You(わたしはあなたのために祈っています)」である。旧版聖歌集は「すくいぬしにましませど」と題しているが、この最後の4小節が「われいのれり」「われいのれり」「われいのれり」と三度繰り返され最後の小節あたりに「ながために」で結ばれている。これも490番の「九十九ひきの羊は」と同様にサンキーの心を今に伝えるものだ。なお、キリスト集会が使用している「日々の歌」では2曲収められており、140番〔救い主イエスは私を〕が同じ聖歌606番であり、あと163番〔われは幼く〕である。この原題は「Trusting Jesus, That is All」である。上の文章中で「イエスに信頼せよ、それがすべてだ」と訳したのがそれにあたる。)

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