2010年4月7日水曜日

六、狙い撃ち


 『イエス様、信じます、眼を開けてください、一生の願いで御座います』
 松の緑も、紅の花も、両親の姿もしらぬ盲人はキリストの裾をにぎって離さない。
 イエス様の唇よりは、かすかな祈りの息がもれた。盲人は粛然として座した。イエス様の御手は盲人の目にふれた。
 『アッ、何だかぼんやり見えます。大勢の人間は、聞いていました林の木のようです。』と盲人は叫びました。
 イエス様の第二の御手が再び目にふれた。
 『ア、ア、アッ、見えます、見えます、一人一人、人間は違った顔と違った姿をしています。オォ嬉しい、驚きました、不思議なことでございます』

 新約聖書は古来無二の絵巻物である。土佐派の絵のように彩色の派手な、美しい、嬉しい場面がたくさんにある。キリストは群集の王ではなくして、個人個人の兄であり、教師であり、また完全な父でありました。私共は十把一束に取り扱われたくない。一人一人の人格を認めてほしい。あの癒された盲人が一人一人見たように。

 ヴォーリズさんは、バイブル・クラスを組織したが、その一人、一人を忘れなかった。ヴォーリズさんの教え方は、群集に向かって大気炎の大砲を放つばかりでなく、短刀をとって個人の肺腑と心臓に肉薄する、即ち狙い撃ちをするだけの努力と信仰があった。ナポレオンは帝位についてから叫んだそうだ。『我は泥土より将軍を作るものだ』と。

 ヴォーリズさんは、ソンナことは決して宣言しなかった。しかし己の至誠の涙をもって泥土を練った。静かに、失望せずに、二十五年の将来をみて、ヤンチャ盛りの学生の陶冶に没頭したのであった。

『ヤア、水曜日がきよった、またポリ公の所へ遊びにゆこうか』
『また煎餅と、お祈りが出るぜ』
『近頃、菓子屋にゆくと、バイブル・クラスという煎餅を売っとるぜ』
『行こう、行こう、クラスの前に今晩はヴォーリズさんに、柔道の極意を教えてやろう』
『オイ。この前の時な、大橋とポリさん、角力を取ったらポリさんの金縁眼鏡に大橋が手をかけたんで、メチャメチャに壊れたぜ』
『毛唐さん気が大きいから知らん顔で騒いでたよ』
『ポリさんと、取っ組むと、下顎のゴリゴリ髯で、俺の頬っぺたを、ゴシゴシとやらかして、俺は痛かったから、参った、参ったというたら、マツタマツタときき間違えて、待たん待たんといいながらゴリゴリやられたよ』
『今晩はM先生が通訳にこない先に、ポリ公を胴上げにしてやろう』
何しろバイブル・クラスはすごい人気であった。
『イエスのたとえ』という本と『ヨハネ伝』が教科書で、A先生と、M先生が通訳であった。

 その頃の滋賀商業の学生は中学の学生と柄が違っていた。タバコも酒も一通りヤル方が卒業してからの役に立つ、大きい商売は宴会の席、芸者の隣でするものだ等と、途方もない思想が全校を風靡していた。禁酒禁煙の校則は殆ど顧みる人がなかったというてもよい。教師の前さえ遠慮をすれば、何でも仕放題、またある教師は表向きの行為と、見逃さるべき要領のよい行為とを別々に取り扱ってくれたし、修身の点数、操行の点数が合致しないでも平気であった。制服制帽は殆ど影が薄くて、前掛けに旧式の煙草入れが学生間に偉大なる、成人の表象となっていた。

 本科四年の課程を十年計画で、卒業すればよいと豪語している、金持ちの馬鹿息子もある。その時分官員様しか着ないようなインパネスを着込んで、鼻下に美髯を貯えた生徒もいた。それが普通商業の二年生だからやりきれない。芸者遊びもする者あり、その他あらゆる青年期の罪悪を犯している様は今から見てもゾッとする。

 ヴォーリズさんはその故国で、青年期の生理及び心理を研究して、世界に名誉を得たスタンリー・ホール博士の著書で有名な『青年期』という書物の愛読者であった。机の上には始終この本がおいてあった。

 これが種本となって、独特な人を捕えて離さない友愛の持ち主、二十四歳のヴォーリズさんは、腕白にして、生意気な、自堕落にして、不健康な青年どもを一人一人狙い撃ちに、性格に応じて陶冶する知恵をえておった。しかし、何というても、信仰第一で、ヴォーリズさんの学生を愛するの熱愛があふれて、個人個人の霊に注ぎこんで行ったのである。

(今日の文章は吉田悦蔵氏の著書の20~23頁の引用である。最初の挿話はマルコの福音書8・22~26に記されている福音書の実話である。ヴォーリズさんの働きがいかなるものであったか導入部として用いておられるが、この件をこんなふうに書き上げた吉田さんに敬意を表したい。私は別の箇所ヨハネ9・40~41にあるイエス様のことばを引きたい。パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、・・・、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」今日の花はお隣の家のツバキ。) 

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