2010年4月11日日曜日

自然の脅威・歴史の脅威を教えられて


 久しぶりにテレビを見た。テレビと言えば、大相撲は見る。後は、高校野球ぐらいか。その他ではニュースステーションなどを毎晩見ていたが、それも昨今の民主党政権の体たらくぶりには愛想がつきて、見る気さえ起こらず、すっかりテレビから遠ざかってしまっていた。

 ところが、昨晩は9時過ぎから11時近くまでNHKの二本の番組に珍しく釘付けにさせられた。最初の番組は「大氷壁に挑む」という番組で50そこそこの方の氷壁クライミングに取り組む姿を追うものだった。天候や地形をよく見据えた上で、何度も襲ってくる雪崩を予知しながら氷壁にアタックし頂上を極めるまでの一部始終が映像化されていた。生死の極限の狭間の中で果敢に挑戦する喜びのようなものが伝わってきた。

 知人の息子さんがつい先だっても雪山で滑落し重傷を負うできごとがあったばかりで、その息子さんの情熱の一端を理解した思いだった。

 次に見たのは、「密約問題の真相を追う」と題するヴィヴィッドな内容のものだった。なぜか東京地裁に入る西山さんの姿や、一際目立つ着物姿の澤地さんの姿に惹きつけられて最後まで見てしまった。特に野武士然とした西山さんの風貌にはただならぬものを感ぜさせられた。

 番組は、「沖縄密約」を認め開示命令を出した東京地裁の判決とそこに至るまでのプロセスを丁寧に追っていた。西山氏が放ったスクープ記事の中で、情報源が外務省の女性職員であったこともあって、その問題に矮小化され、結局、彼の密約云々の指摘は闇から闇に葬られた記憶が過去あった。その国の厚い壁に何度も何度も挑戦し、ついに金曜日の東京地裁の勝訴にこぎつけたことに、西山氏の常人ならぬ不屈の闘志を見せられた思いがした。奇しくも前番組の氷壁に挑む人の思いとダブった。

 また番組後半で放送された、外務省の元条約局長の東郷氏と情報公開法の制定に早くから関わってこられた学者の先生とキャスター鎌田氏との鼎談が私には見ものだった。その中で、東郷氏はご自身の条約局長時代の文書は後世の歴史の検証に耐え得るように伝えるべく後任に引き継いだということを強調された。そして、何が何でも公開するのではなく、最低二つの条件は守って欲しいと言われた。

 一つは現在交渉中の外交案件に関するものの公開はその交渉が終わるまでは絶対できないこと、あともう一つは相手外国人が存命の場合は相手に迷惑がかかるのでやはりこれまたしないで欲しい。ただしこれら機密文書は後の歴史の審判に耐え得るために破棄しないで保存することが責務であると強く言われた。この毛並みのいい外交官として活躍された東郷氏が、ご自分の仕事に矜持を持っておられることが改めてひしひしと伝わって来た。元アメリカ局長吉野氏がご高齢の中、今回の裁判で在任中の国会証言に反してまで、原告側の証人として立たれたのもそこにあると思った。

 一方、「情報公開法」の導入の日米の落差ぶりが浮き彫りにされていた。アメリカでは1960年代後半に制定されたが、日本では30数年後の2000年代のことであるということだった。その上で件の沖縄文書を日本の外交文書公開の文書館に行った場合にはほとんど取り寄せられないのに対し、アメリカの同種文書館を訪れた場合は百パーセントの公開が得られるちがいが報道されていた。これなど論より証拠、一番手っ取り早い日米の比較がなされていて興味深かった。

 果たして今後この問題―沖縄密約文書の全面開示―はどうなるのだろうか。ポスト変わって、外務大臣は民主党政権の岡田氏である。果たせるかな、同氏は記者会見で、国側の全面敗訴に 「調査を徹底したにもかかわらず、足りないと言うがごとき判決だ」と不満をぶちまけた。と、東京新聞は報じていた。番組の出演者は、異口同音に「情報公開」が日本の民主主義にとっての試金石だとも言っていた。さりなんと思わされた。また、私は番組の中で、盛んに繰り返される「歴史の検証に耐え得る」ということば に強く同意しながら、もう一方で、歴史を動かしておられる天地万物をお造りになった主なる神様に各人が人生の総決算を迫られていることをも思わずにおられなかった。

各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(新約聖書 1コリント3・13)

(写真は玄関前のクレマチス・アーマンデー「白い石 与えると言う 黙示録 アーマンデーの 白さ格別」)

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