2010年5月10日月曜日

母の日に寄せて(中) クララ


 幾度となく、男子より女子の方が育てやすいという言葉は耳にして来ました。たしかに苦難に堪え得るように婦人の体は強く出来てはいますが、それは肉体のことで、人類としての婦人という意味ではありません。

 女の子を社会人たる婦人にまで、ことに母たる婦人にまで仕立て上げることと、男子を社会人たる男子にまで育てることを思いますと、「いずれが易き」と口走ってしまうのです。女子は育て易いというような安易な考え方をもって来た長い伝統が、今日のような婦人を、そして社会をつくり上げたのではありますまいか。母たり妻たることの至難さを思いますとき、自らは娘等を育てることの難事を身に浸みて感じます。

 私は自らがもつ母たる幻、描いている母の像、妻の姿、婦人としてのあり方などを考えまして、あまりにもおよばぬ自分を見ますとき、婦人の教育の容易ならぬことを思います。女子は育て易いという所に婦人の天職への無理解があり蔑視があると考えられます。婦人自らもその天職を軽視しているのではありますまいか。

 男子はある意味において各自の性格に合う方向を定めてそれに邁進し努力しますなら、社会人として遜色なく生活して行けますが、婦人は結婚によって、その相手によって、方向も趣味も万事を整えて行かねばなりません。移植された場所でよい花を開き実を結ぶように育てねばなりません。婦人は氏なくて玉の輿に乗ることもあれば、手鍋下げることもありましょう。町家の娘が学者と、芸術家が教育家と、東北人が関西人と・・・これ等は避けたい取り組といわれますが、それであっても征服し得る心を育て、事情境遇を善きに変え、時には逆風を利用して前進し、無風にも停滞しない訓練をしておくことが必要です。何と考えましても婦人を育てることは容易でありません。ソロモン王の伝道の書に「わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった」と記していますが、それほど婦人たることは容易ではありません。

 近頃の社会の嘆かわしい現実は、離婚数の激増であります。これは自らの不幸を避けようとしての方法でありながら、実は世を不幸に追い込む道程となるのです。嵐に巻き込まれた子供らは、ベース・ボールの玉のように、あっちにやられこっちにやられ、安定しない生活の惨めさと、不健全な愛のもとに育つ人々の社会は、結局婦人に不幸という贈物が届けられるのです。

 男子の身勝手は別として婦人の心構えを充実させたいものです。性格の相異などという言葉の流行が離婚を正当化して行く現代、もしこの言葉を勝手に利用するなら、親子も、嫁姑も、また兄弟同士さえも分離争闘が当然化して、そこには自制も聖書のみことばの命令(※)も道徳律も却下されて、敵を愛するなどとは全く寝言に過ぎないものとなります。(続く)

(昨日に引続き、小原鈴子さんの文章である。名門徳川家に生まれた彼女は、「幼少より真理と自由を求めての志は止みがたく、ついにキリストに至って開花する。二十一歳で東洋宣教会聖書学院に入学、わけても笹尾鉄三郎師の導きをうく。1916年<24歳>小原十三司と結婚、案ぜられた病弱の身に神は11人の子らを恵まれた。うち5人は召さるるも・・・」とこの本のしおりには紹介されている。なお文中で引用されている聖句は伝道者7:28である。この聖句の前の26節には「私は女が死よりも苦々しいことに気がついた。」とある。※部分の原文は「宗教」とあったが、「聖書のみことば」と変えさせていただいた。「われもまた 庭の片隅 凛と咲く 石楠花にぞ 婦人思えり」)

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