2010年5月16日日曜日

天国(下) ハーマン・ゴッケル(柴田千頭男訳)


 “しかし、キリストがこれらの約束を、果たしてくださる力があると確信できるだろうか” そうです、わたしはそう確信できます。どうして? キリストご自身が死からよみがえり、罪と死と地獄に対する勝利者としてのご自身を、あきらかになさったからです。主の死と復活と昇天後、約60年以上もたってから、主は愛する使徒ヨハネ(父なる神の家についての、救い主の慰めに満ちたことばをしるした人)にあらわれて、こう言われました。

「わたしは最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている」(新約聖書 ヨハネ1:18)

 その死よりの復活によって、キリストご自身、約束を守る力を持ったかたであることを証明なさったのです。主が墓に打ち勝った事実は、わたしたちの永遠のいのちの保証でもあります。からになった墓は、いつかわたしたちの墓も同様にからになることを宣言しているのです。「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」と、主は信仰者ひとりひとりに保証してくださっています(ヨハネ14:19)。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」(ヨハネ11:25~26)。

 キリストの復活という事実があるので、使徒もこう宣言しています、

「『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」(1コリント15:55~57)。

 同じ使徒は、ほかのところでも、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」と言っています(1コリント15:20)。初穂は、次にくるものへの前ぶれであるとともに、さらに全般的な収穫への初ものの味を持っています。それと同じように、キリストの復活は、わたしたちの永遠のいのちへの復活の保証であり、前ぶれでもあります。キリストの復活は、神の子によるあがないのみわざの最終的な承認なのです。そしていまや――わたしたちは、主が生きるゆえに、わたしたちも生きるのです。

 わたしは知っている
 あがない主が いま生きておられる
 この一言の与える なぐさめ!
 主は生きておられる 死んでまた
 いま生きておられる
 わたしの永遠のかしら
 主は いま生きておられる

 主は生きて 愛でわたしを祝福し
 主は生きて わたしのためにとりなし
 主は生きて かわいた魂をいやし
 主は生きて 苦難のときにお助けになる
 
 主は生きて 日々のいのちをお与えになる
 主は生きておられるため わたしも 死に勝つ
 主は生きて わたしの家を備え
 主は生きて わたしをそこへお導きになる

 そうです、主は「われを導き、かしこにいたる」ため、いま生きておられます。あのはるかなる家において、わたしの最も深い望みは、いっさい完全にかなえられてしまうのです。そこには、わたしのために所を備えてくださった救い主が、また、その所のために、わたしを備えてくださった救い主がおいでになるのです。「わたしが、いちばん心から愛した」人々がいるのです。そしてそこに、わたし自身、住むようになるのです! なんとすばらしいことでしょう。

 しかし、わたしがそこに住めるのも、神の無償の恵みと愛によるのです。その神の賜物こそ、「私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」なのです(ローマ6:23)。使徒中の使徒といわれた者が、その人生の終わり近く、この世の悩み、むなしさなどに思いをはせたときに、こう言わざるをえなかったのも、すこしも不思議ではありません。

「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。じつはそのほうが、はるかにまさっています」(ピリピ1:23)「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(ピリピ1:21)

 われ罪人の かしらなれども
 主はわがために いのちをすてて
 尽きぬいのちを 与えたまえり

 あまつみくにの 民とならしめ
 幹につらなる 小枝のごとく
 ただ主によりて 生かしたまえり    (讃美歌249番)

(以上が先週の金曜日Aさんの枕辺で私が朗読させていただいた文章です。文章中にありましたように「主は生きて」が何と12回もリフレインとして繰り返されたのでした。さしも鈍い私の心の耳朶を打つのに極めてふさわしいことばでした。私が昨日Aさんのお顔に心持ち赤味がさしたのではないかと申し上げたのは実はこの時のことでした。私どもは滅びなければならない肉体をかかえていますが、復活なさった「主イエス様」は確かに今も「生きておられる」お方です。だから私たちも死に打ち勝って生きることが約束されています。このお方に今日も真実の礼拝をささげる者でありたいです。)

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