2010年5月28日金曜日

恩寵に頼れ


 先週の土曜日から長女の一番下の子が気管支喘息になり、入院して、今日退院してきた。まだ一歳そこらで点滴やら酸素吸入をさせられて可哀想だった。長男は年長組で幼稚園へ通う。長女は家でお留守番、父親はお仕事。どうしても手が必要だった。婿殿のお母さんが車をフルに活用し手助けしてくださり助かった。5日間のうち、私たちも一日だけ交代で手伝うことができた。

 不意に訪れた出来事にどう対処するかは愛の試金石だ。私自身その日予定していたことがあり、最初そのことばかり考えていた。でもすぐ諦めて、先に直行していた家内と一緒に長女の家で孫たちの相手に入った。孫たちは普段は中々来てくれそうもない「じいじ」、「ばあば」が一緒ではしゃいでいる。いのち芽生える幼児の迫力に何度も負かされそうになる。

 幼児の想像力は見ていて、楽しい。夢が膨らむばかりである。前日たまたまMさんの創意工夫をこれでもかこれでもかとふんだんに見せられていた私には、結構淵源はこの幼児の心にあると思わされた。ペットボトルをつくってくれとせがむ長女に色紙を切り抜いてずん胴の円柱に円状の底を貼り付けただけで大喜びだ。私の大人性は形状の不細工さに満足がいかないのに。手放しで喜ぶ姿を見ると、私もかくありなんと思わされる。

イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(新約聖書 マタイ18:2~4)

 家内が絵本を見て紙飛行機をつくる。「イカひこうき」「つばめ」・・・実に様々な飛行機がある。長男は飛ばすことに夢中になる。私の内側にある童心にも火がつく。飛ばしっこをする。いかな鳥にも負けていない。部屋はいつの間にか空と化する。翌日帰るとき、何機もの紙飛行機の残骸が孫と過ごした時を証明するかのように部屋のあちこちに散らばっていた。

 三人の子どもを抱えて四苦八苦する長女家族を見るにつけ、私たちにも忘れているだけで、それはそれで苦労があった。その上、車も持たず、能力もなく、親元遠くはなれていた私たちにとって、私たちだけの力では五人の子どもをとても育てられなかった。その私たちがまるで何もなかったかのように今日あるのは「恩寵(おんちょう)」の二文字があるのみだ。五人の子どもたち、孫たちもこの恩寵の主イエス様から離れることのないように日々祈るのみである。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

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