2016年1月10日日曜日

老いて盛んなり

恋瀬川、正面は筑波山(常磐線沿線の車窓から)

彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。(詩篇92・13〜14)

 御霊の実の中でいくつかのものは、ささげられた生涯の老年時代に特徴的な性質のように思えますが、私たちもそのような実を結んでみたいと思いませんか。

 ごらんなさい。老年になってのアブラハムの信仰の円熟があります。独りで死ぬために山に登っていった時のモーセの謙遜な姿の偉大さがあります。また後期書簡にあらわされたパウロの芳醇な喜びがあります。そして、初めのころ、神様の怒りの火花を呼び下ろそうとして、「雷の子」とまで称されたことをまるで忘れせしめるようなヨハネのすばらしいやさしさがあります。

 そうです。同じ御霊様は私たちにも与えられているのです。だから私たちもまた「豊かな実」を結べるのです。必ず今よりももっと多くの実を結べるのです。

今は、刈り取られ、鋭くも厳しいですし、

花は散らされ、苦しい傷が(あります)!

けれども、後になって豊かな実を結びます、

それは、主が喜ばれる実です。

(今日は日立に出かけました。ハヴァガルの霊想を皆さんと分かちあいました。原文はhttp://bibletruthpublishers.com/january-10-old-age-no-barrier/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97174です。とんでもない誤訳があると思いますが、できれば読者の方々が指摘してくださると嬉しいです。霊想は毎日あり、365日分あります。なお、今日から90日ほどはすでに翻訳され市販された本がありますが、私の手許を離れましたので、我流で少しずつ訳していくことにしたいと思っています。どこまで続くやら・・・)

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