2016年1月7日木曜日

勝利の祈り

年賀状3
わたしが・・・・あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15・16)

 この譬え話の最初の章で、キリストはご自身がぶどうの木であり、父が農夫であることを明らかにされた。そしてご自身と父のために私たちの心の中に住むべき場所を求められたのであった。今、この最後の章では、ご自身と父とについてのすべての教えをまとめて、主が一つ一つの枝を選ばれた二重の意味を明らかにされるのである。

 まずぶどうの木であるご自身については、枝が実を結ぶことであり、父については、主の名によって枝が求めるものはすべて父によって与えられるということである。実を結ぶことが私たちとキリストとの関係の大いなる証しであるように、祈りは私たちと父との関係の大いなる証しである。子なるキリストにつながって多くの実を結ぶことと、父なる神へ力強い祈りをささげることは、真のクリスチャンの生涯の二つの大きな要素である。

 「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」これはこの譬え話の結びのみことばである。ぶどうの木と枝とのすべての奥義は、さらにもう一つの奥義であるところの「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」(ヨハネ16・23)という点に展開していくのである。

 さてここで、私たちに祈りが非常に少ない理由、私たちの祈りにほんとうの力が欠けている理由について考えて見ることが必要である。それは私たちがまことの枝として生きることが少なく、またぶどうの木につながることに私たちの熱意を示すことが少ないからである。そのために私たちは常に祈らねばならないと意識することが少なく、私たちの祈りが聞き入れられる自信もなく、したがって、主の御名を神の宝庫への鍵として用いる方法も知らないのである。

 地上に植えられたぶどうの木は成長して天に達したのである。ぶどうの木に熱烈につながら魂だけが、何ものにも打ち勝つ強い力をもって天に達することができるのである。この譬え話の教訓と真理、ぶどうの木の生命と真理を固く信じる私たちは、祈りの力によって信仰を証拠立てねばならない。主につながる生涯、服従の生涯、愛と喜びの生涯、きよめと実りの生涯は、必ず勝利の祈りへの力へと私たちを導くことにまちがいはないのだ。

 「あなたがたが・・・求めるものは何でも」という約束は、まことのぶどうの木と同じように、仲間の人々のためにいつでもいのちを捨てようとした弟子たちにも与えられたのである。この約束は彼らの働きの原動力であったのだ。彼らはこの約束を文字どおりに解釈し、これを信じ、これを用い、そしてこの約束が真実であることを見いだしたのである。私たちもぶどうの木にふさわしい枝として、人々を救い、神の栄光のために実を結ぶ働きに没頭しようではないか。

 そうすれば、私たちは祈り、主に約束の実行を求める新しい力を見いだすであろう。また神の宝庫の鍵が与えたこのような約束の中にある私たちの責任のすばらしさを自覚する。かくて滅びゆく人々のために、パンと祝福を受け取るまで休むことなく祈り続けようではないか。

 愛する弟子たちよ。何はさておいても祈りの人となるように努めようではないか。それはぶどうの木の枝としての私たちの最高の特権を行使することなのだ。それは私たちの存在が神と御子のみこころの中で新しくされた証拠である。それは私たちが自分自身のためではなく、他の人々のために生きていることを示す私たちの力なのだ。それによって私たちは天国に入り、人々のために賜物を受け取ることができるのだ。またそうしてこそ私たちがキリストにつながり、キリストが恵みの手段として私たちを用いることができるのだ。こうして人々のために実を結ぶ力の上に、神に祈りを聞き届けられる力が加わったのである。

 キリストは、私たちを父の御前に伴い、父のみことばが私たちの中に満たされるように私たちの中でお働きになるのだ。「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。 16:27 それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです」(ヨハネ16・26〜27)という主のみことばはそのことを言っている。人々のために父に直接に近づく力、信仰を持つ人々のために祝福を求め、祝福を受ける執り成しをする自由は、私たちとキリストとの結びつきを最高に実現することである。ほんとうにりっぱな枝になりたいと願う者は執り成しのわざにひたすら打ち込むのである。執り成しは天のぶどうの木であるキリストのただ一つの大きなみわざであり、キリストのすべての力の源である。執り成しを枝としての私たちのただ一つの大きな働きとせよ。それは私たちのすべての働きの力となるのである。

祈り

「主よ。ここであなたはご自身に、『まことのぶどうの木』という新しい名をおつけになりました。私は一本の枝として、あなたに一切のものをささげ尽くし、信じ切り、無条件に服従し、朽ちない実を結ぶためにあなたの中にとどまります。私はあなたの中にあって父のもとへまいります。そうすれば父は私の求めるものをお与えになります。どうか私の生涯をいつも絶えることのない、力強い執り成しの生涯としてください。アーメン」。

( 『まことのぶどうの木』アンドリュー・マーレー著安部赳夫訳141〜146頁より引用。この本は小冊子ではあるが、貴重な書であり、全部で31章になっていたが、今回が最終回であった。原著書名は『The Mystery of The True Vine By Rev. Andrew Murray』である。http://www.biblebaptistelmont.org/BBC/library/Murray/true-vine-10.html

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