2016年1月15日金曜日

あわれみはいけにえにまさる※

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43・25)

 かつてジョンという聾唖の人がいました。彼はどんな人の声も聞こえなかったのですが、イエス様の声は聴こえ、声を知り、愛し、声に従っていました。

 ある日、彼に手話で語りかけた婦人に不思議な夢を見たことを話しました。神様は彼に一冊の大きな黒い本を示されたのです。彼のありとあらゆる罪がその本には書き込まれていて、かなりたくさんあったので真っ黒になっていました。そして神様は彼に火が燃えている開けられた地獄を示されたのです。それはこのような罪のために彼を待ち受けているということでした。

 けれどもイエス・キリストはやって来て、ご自身の赤い手を、すなわち十字架でもって血塗られたその手を全頁に置かれたのです。するとその赤い手が彼の罪を全部拭い取ってしまいました。それで神様がその本を光にかざして見られた時、もはや残されているものは何も見ることができなかったのです!

 イエス様の今日の私たちに対することばはこうです。「わたし、このわたしは、あなたのそむきの罪をぬぐい去る者です」。これは気まぐれでもなく、また単なる感情でもなく、イエス・キリストの血が注がれたという神様の真実です。何ものもそれを変えることができません。そしてイエス・キリストの尊い血が私たちの咎をぬぐい去るというのはパウロがコロサイ2・14で言うとおりです。「私たちを責め立てている債務証書を無効にされた」

 そうです。どれだけたくさんの罪が帳消しにされることか。—あなたが忘れてしまった多くの罪、あなたが知っている方以外はあなたも全然罪だとは思わなかった罪—昨日も今日も、またあなたの人生の過去一切の罪が。

 あなたはそれらの罪がぬぐい去られたことをお知りになりたいですか。ダビデは申しました。「私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。」(詩篇51・9)神のことばを手に取って、そのことばは真実であり、あなたにとって真実であるとそのまま信じなさい。「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」(イザヤ44・22)

支払わねばならないものは何もありません。そうです、何も。

イエス様が全部の負債を帳消しになさったのです。

それはご自身の血にまみれた手をとおしてです。

自由にして、赦しを得、愛されている者としてあなたは(主の御前に)立つのです。

イエス様がおっしゃっている声をお聴きなさい。

「まことにあなたはもう支払うべき何ものもなくなった。

負債は支払われた、負債は取り除かれた。

さあ、わたしはあなたに問いましょう。

あなたはわたしを愛しますか

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-15-debtors-to-mercy-alone/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97179です。※標題の原語はDebtors to Mercy Aloneである。今朝のスポルジョンの勧めは、主がいかにご自身の約束を守られる方かが述べられていて、その約束を信じないで、行使しない、すなわち主に願わない信者の愚かさが指摘されていた。あわせて味わいたい霊の糧である。God's promises were never meant to be thrown aside as waste paper; he intended that should be used.)

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