2018年12月12日水曜日

山中氏を尋ねて(2)

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3・16)

 昨日は山中氏の横顔の話をさせていただいたが、実はその直後、別の本(神社参拝拒否事件記録 復刻版を繰っていたら、何と山中氏の全身像をしかと見させていただく僥倖に出会った。

 その一枚の写真は、美濃ミッションで山中氏が聖書の講義をなさっている場面である。受講生8名の後ろ姿とともに、黒板を背にして正面に羽織袴の山中氏の姿が見えた。こちらの方は昨日触れた55歳の時の姿でなく、一見してまだお若い時の山中氏の姿であった。黒板には大きな字で「神の愛」と書かれていて、五項目がやはり大書してあった。小さな写真であるので判別がつきにくいので、国会図書館の受付の方からルーペをお借りして書かれている字を想像し、次のように読み込んだ。

 一、神の愛の量度※
 二、神の愛の対象
 三、神はいかに愛するか
 四、神の愛・・・・・
 五、神の愛は我らのために何をするか

 残念ながら、四番目の項目の板書は「・・・・」部分が山中氏の姿が邪魔になって判読できなかった。キャプションは「美濃ミッション聖書学校授業風景(山中為三校長講義中)」と書いてあった。その講義室の柱にはそれぞれ聖書の言葉が書かれていて、後ろ隅にあるストーヴも見え、八人の方もそれぞれ着物姿で真剣に受講されている姿が見てとれる。正面に見える山中氏の机上には何やら参考書ごときものが置かれている。
 山中氏が美濃ミッションの聖書学校の校長であったことはすでに12月4日のブログで紹介したように1977年当時に過去を回想してご本人が書いておられたことで知っていたが、このように写真を通して知ることができるとは全く予想外で「山中氏を尋ねて三千里の旅」のしがいがあったとも言える。そして、それだけでなく、四、五日前に私は国会図書館のデジタルライブラリーで、美濃ミッション発行の『聖書研究』(スコフィールド著美濃ミッション訳昭和3年8月発行)を見つけ、自宅でダウンロードし、プリンターで印刷していた。その最初に書いてあったのが、「神の愛」であったことを思い出したのだ。

 ひょっとしてこの講義はそのテキストを用いてではないかと睨んだのである。豈図らんやまさにそうであった。そして判読不能であった四は「神の愛は我らのために何をなしたるか」であることがわかった。このようにして20代後半に差し掛っていた山中氏の姿が一挙に明らかになった次第である。

 それにしても、日本人の救いのためにその一身を投げ打ったワイドナー宣教師は「記録」を重視された方だと言う。そのような彼女の姿勢が『神社参拝拒否事件記録 復刻版』で大いに用いられている。そして編者は、このような記録はもし日本に置かれたままであったら、官憲に取り上げられたり、戦災で焼け出されて永久に見られなくなったであろう、しかし奇跡的にアメリカに移されていて今私たちはその「神社参拝拒否事件」の真相を知ることができるのは神の摂理だと述べている。

 その本の写真にはもう一枚印象深いものがあった。それはあの迫害下、『美濃ミッション』の看板を下ろさざるを得なかったのだが、そのまさに今にも看板をはずそうとしているワイドナー宣教師(ミッションの創設者)の姿、そしてそのまわりに他の信者が数人おられての姿が写っていたのだ。しかも暗い雰囲気もなく、こちらを向いて笑っておられるようにさえ見える。もちろん、彼らのうちの一人がこの写真を撮影したに違いない。真実はこのようにして明らかにされるのかと思った。


 神の愛の「量度」とは聞きなれないと思う。この冊子にはそのことが次のように書き加えられている。参考のために書き写す。(これらはすべて校長山中氏が訳によると、ブログ氏は推量している)

ヨハネ3・16ーー『ほどに』スポルジョン氏曰く『いかなる言語の中にても、ヨハネ3・16の「ほどに」なる英文字ほど、意味深長なるものはない』と。
エペソ3・18、19
 広さ ヨハネ3・15、16 『すべて』・・・誰にでも
 長さ エレミヤ31・3 『窮まりなき』・・・永遠の
 深さ ガラテヤ2・20 『我を』
 高さ エペソ2・6 『彼の中』
ヨハネ17・23 『なんじ我を愛するごとく』

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