2018年12月25日火曜日

クリスマスとスカルの井戸


しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、のちには海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ9・1〜2)

 神の御子がユダヤの国のガリラヤに生まれたもうたことは、神とこの世の勢力とを結びつけて考えがちな人間の思いを、根底からくつがえす出来事であります。

 福音がこの世の中に力づよく広がるという点からみれば、ローマ皇帝の世つぎとして生まれるこそ、もっともふさわしかったことでしょう。福音は国家権力の背景と支持を受け、強力にローマ世界に伝播されたにちがいないからです。また、もしも神の御子が、アテネ市の学者の家に生まれたならば、福音は当時の世界の知識人の間に、急速に広がっていったことでしょう。しかし神の御子は、ローマの属領として、政治的にはなんらの権威もないユダヤ、ユダヤの中でも、異邦人の雑居する北辺の地方”暗黒の地”(イザヤ9・2)とよばれたガリラヤに生まれたもうたのです。

 神の御子が、ローマにあらずアテネにもあらず、まさにガリラヤに生まれたもうたという事実は、福音の真理は、けっして政治的権力や学問的知識と結びつき、それらこの世の勢力によって支持されるものでなく、ただ神の導きと、人々の信仰のみの上に立つことを示します。ユダヤは弱小の国ではあっても、いやしくも神に対する信仰のことについては、いずれの国民よりも熱心かつ誠実でありました。神の御子を迎えるにふさわしいのは、この世の権力や智力ではなく、ただ信仰のみであるという真理が、クリスマスの出来事を通して、証されたのであります。

 しかし、これだけではありません。神の御子は、ユダヤのガリラヤに生まれたもうたのです。同じユダヤでも、たとえばエルサレムの大祭司の家に生まれたというのだったら、おそらく当時のユダヤ人の多くが合点もし、信じもしたことでしょう。ところが”暗黒の地”ガリラヤの片田舎で、神の御子が呱々の声をあげるなどとは、まったく思いもよらぬことだったにちがいありません。しかしこのことによって、福音の真理は、ただこの世の権力や智力ばかりでなく、いわゆる宗教的勢力によっても支持されるものでないことが明らかにされたのです。

 主は後年、スカルの井戸のそばで、サマリヤの女に向かい、”あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・まことの礼拝をする者たちが、霊と真実とをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今来ている。父はこのような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も霊と真実とをもって礼拝すべきである”(ヨハネ4・21〜24)と語られました。この永遠の真理は、クリスマスの出来事の中に、すでに輝きわたっているのであります。

(酒枝義旗著作集第9巻148〜150頁より引用)

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