2018年12月21日金曜日

不思議なことがあるもんだ!


人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカ19・10)

 先日12月18日火曜日のこと、一人の方と隣り合わせになってお話ししていた。その方は私より一回り上の1930年生まれの88歳の方であった。たまたま、私はその時、『預言通覧』と『スコフィールドの聖書研究』を持っており、それぞれの本をその方に紹介していた。そして「スコフィールドの聖書研究」の冒頭のヨハネ3章16節の「神の愛」に触れ、互いにその広さ、長さ、深さ、高さを確認し始めたら、その方が「ためぞう(さん)が私にこの話をしてくれたんだ」と言われた。私は思わず、口走った。「その方は、山中為三さんですか」と尋ねると「そうだ」と言われる。私はまさに飛び上がらんばかりにびっくりした。

 山中為三氏が戦後どのように生活し、どのようにして召されたのか、手がかりがなく、辛うじて国会図書館にまで出かけて何とか想像しながら過去5回にわたって書き続けたが、目の前にその山中為三氏と会った方がおられたのだ。しかも私が4年前から知己をいただいていた方がすでに36年前の1982年に出会って、為三さんを通して救いを体験しておられたというのだから、私が驚くのも無理はないだろう。早速その方に山中為三さんの思い出を語っていただいた。以下はその聞き書きである。

 山中為三さんという方は山形県の酒田にお出でになったことがあるんです。で、マツダの自動車に乗ってスピーカーで町内(まちうち)を走ったのね。だからそれは酒田大火の後でした。大火の後でね、それでね、夜、私と妻と子ども(三男)と三人で、夜行ったのね(会場へ)、そしたら、誰かいっぱいいるのかなあと思って行ったのが、私ぐらいだけだった。三人しかいなかった。で、山中為三さんにヨハネ3章16節の言葉から「神の愛」について一時間教えてもらった。それで初めて、今までは何回も聖書の言葉は、説教は聞いていたけど、なかなかこれは、もっと、わかったようでわからないで、いい話だくらいだったけど、この山中為三さんの話を聞いて初めて人間の宗教ではないんだ、神様の方から、上からお出でになった、降られた方なんだ。罪人を救うためにお出でになった方だと、それ聞きました。

 それを聞いた時にね、はじめて、ああ何て神様の愛というものは(すばらしいものだろう)。上から、救うために、罪人を救うために捜してきたと言うんだから、これはありがたい、涙流して、いいはなしだぐらいではないの、感動して涙流した。今でも原点はそこなんだね。山中為三さんはその後アメリカに帰った(※)という話を聞きましたけど、そのみことば聖書のヨハネ3章16節の言葉で私は信仰を決心してすぐバプテスマを受ける心に変えられました。

 福音を伝える方法はみなちがうが、今聞いているのは、簡単なものを難しく教えているからなかなか最近救われる人は少ない。(為三さんは)反対なんだ。むつかしいことを簡単にわかりやすくほんとうのこと、ポイントそこだけ強調して教えてもらってそれから深みに入るようになれば、もっともっと福音は多くの人に結ぶんじゃないでしょうかね。そんなこと感じますよ、わたしは。

 酒田では、町内の神社の、その当時わたしは町内会長をつとめていましたから、神社の代表ですわ。神社の神主さんたちが、宮司さんたちといろんなつきあいありました、ずっと。でも、だれも神様のことはわからない、いざ神様のことになるというとわからない。お神輿一所懸命町中かついで歩いても中に何が入っているかわからない。おふだ一枚はいっているだけ。まあ宮司さんは、「たいよう」さんは、田舎ではたいようさんというが、宮司さんは、祭司だね。でも、先祖から伝わって流れの職業的にやっているだけで、ほんとうのことは何にもわからない。

 「主は生きておられる」44号のわたしの証に(あるでしょう)。(最初)タイトルがわからないと言われたが、私が言ったことが、それはルカの福音書のタイトルですよ、それはなんだかというと「失われた人を捜す」これがルカの福音書のタイトルですよね。だからわたしなんかまったくそういうことがなかったんだけれど。でも神様はわたしを救ってくださった。神様はどんなことでもできるの。できないことはないの。全知全能の方だから。不思議だね。

(※私にとって為三さんの履歴が1905年〜?と書いてあり、なぜ山中氏の最後がわからないのかと疑問に思っていたところ、この方の話を聞いてわかった。為三さんの奥様はアメリカ人でアメリカに帰られたという。だとすればアメリカで召されたのだろうか。わからないのも当然だと思った。

 その上、私が国会図書館デジタルライブラリーで見た、美濃ミッションで講義中の山中氏の若き日の姿は、まさに「神の愛」ヨハネ3・16について「スコフィールド」 を使っての講義そのものであった。それから50年ほど後に、日本海沿岸の酒田で一家三人の方がその山中氏から一時間にわたって熱心に福音を伝えられていたのだ。

 そしてさらにその36年後に何も知らない二人の者で、互いにスコフィールドの解きあかしを分かち合っていたのだ。その時、ご家族と一緒に撮られた写真があると言われるから、今度はとうとう私も山中氏の実像を見られそうだ。77歳晩年の山中為三さんだろうが・・・。それにしてもその方の救いのためにわざわざアメリカから来られたとは、まさに冒頭のみことばのとおりでないか。絵はザアカイである。)

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