2018年12月17日月曜日

『死体が教えてくれたこと』上野正彦著 河出書房新社

見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示21・3〜4)

 上野さんは「監察医」であった。世の著名人の一人である。しかし、私はこの歳になるまで、この方のご存在を知らなかった。一月ほど前、図書館で何となくこの本を手に取り、読みたくなった。でも実際は、死体について書いてある本など気持ち悪く、ほったからしにしておいた。そのうちに貸出期限がとっくに過ぎてしまった。かと言って、読まないで返すのは口惜しい。そこで、この二、三日読み始めた。

 読み終えて、死に対してさらに正しい考えを持つことができた気がする。この監察医制度がGHQの占領期の1947年に創設され、日本では初めて制度化されたことを知った。敗戦直後の食糧危機の中で多くの人が死んでいったが、それは十把一絡げに「餓死」として扱われた。時のアメリカ大統領トルーマンは自国の占領政策を恥じて、日本にトウモロコシや脱脂粉乳を取り寄せて配給すると同時に、死因はなぜなのかを厳密に問う、監察医制度を始めたのである。戦後民主主義の別の面の原点を見る思いがする。なぜなら、国家のためにささげる消耗品としての命から、一人一人の命が初めて大切に扱われる大転換が行われたからである。

 上野さんはお父さんがこの人の命を大切にする「赤ひげ」先生として日夜働いてきたのを身近に見ておられて、後年自身も医者の道を選ばれたが、さらに法医学を専攻し、この珍しい監察医の道を選ばれた。2万体と言う物言わぬ死体を前に一人一人のいのちの尊厳を思いながら、仕事をして来られた。その一切がここで少年少女に分かりやすい形で語られていく。そしてそれは同時に平成の日本の世相を大きく裁断する警告の書となっている。

 ご自身の家庭の蹉跌のことも語られ、最後にはそれまで死は「ナッシング」だと考えられていたが、46年連れ添われた奥様に先立たれて、あの世での再会を希望されるように変わってきたことまで正直に述べられている。そしてこんなふうにも書かれている。

 人間の体の構造は、このうえなくよくできている。人の脳みそは頭蓋骨で守られている。心臓も肺も胸のあばら骨によって保護されている。しかし、胃袋や腸のある腹部には背骨はあるが、前をおおう骨はない。
 なぜだろうか。ここで体が折りまげられるようにできているのである。もしも腹部も全部、骨でおおわれていたなら、人間の体はカニの甲羅のようにかたく、ロボットのような動きになってしまう。
 こんなことを誰が考え出したものだろうか。私はここに、神の領域をみるのである。
 私自身は無宗教で、神というのはひとつの概念としてとらえているのではあるが、人体の構造をみると、もはや神秘といえるだろう。そういう素晴らしい体を、ひとりひとり与えられているのである。(同書181〜182頁)

 退職してから、もう何十年もたった。監察医たちはあいかわらずいそがしく飛びまわっている。重い責任のある仕事をうけおってくれていることを、心強く思う。だがその反面、私は思うのだ。監察医がいらない世の中になったら、どんなにかいいだろうかと。それは犯罪で亡くなったり、せつない理由で死んだりする人たちがいなくなるということだ。そんな世の中になったら、なんともうれしいことだ。(同書187頁) 

 もともと少年少女向きに語られている本だがこの他にも教えられることがたくさんあった。特に真実が明らかにされねば止まない著者の情熱が伝わり大いに襟を正された。その上で最後の著者の偽らざる感想・願望は冒頭の聖書のことばとして神様が私たちに約束しておられることを著者に是非知っていただき、信じていただきたいと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿