2018年12月4日火曜日

山中為三氏の生き方

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちはだましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちていくのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。(2テモテ3・12〜14)

 ここ数日間、山中為三氏の『クリスチャンの希望(副題 キリストの再臨)』をご一緒にお読みした。特に著者の記した三篇の詩歌は時を越え、私どもの心を打つものでなかろうか。私はこの三篇の詩歌を通して著者の心の琴線に触れ得る喜びを味わうことができた。

 今の時代は情報過多の時代である。したがって、ネットを通じて山中為三氏についてもある程度調べることができる。しかし、私は今回さらに彼の肉声を聞く思いのする文章を偶然に手にすることができた。それは、彼が『キリスト者の勝利(横井憲太郎と一粒社の軌跡)』と題する本に寄せた文章である。この本は、故人ではあるが、名古屋でキリト者として特色ある出版事業(一粒社)に献身され、49歳で召された横井憲太郎氏を偲ぶものである。その本に「神社参拝拒否問題」と題した以下の彼の文章が載っている。

 横井兄のこと思い出がつきません。お手紙など全部1942年(昭和17年)の初め検挙にあった時、押収されてしまいました。美濃ミッションの戦前の人達に問い合わせたのですが、いずれも検挙の時、すべての書類、書籍を押収されて詳しいことは解りません。皆さんが「横井さん」なつかしいな、よく大垣にあの迫害当時来て下さったと語っています。
 昭和7〜8年の頃、当時私は牧師でなく美濃ミッション聖書学校の校長でしたが、大垣市の美濃ミッションの神社参拝拒否問題で大迫害を受けていた時、ー日本基督教団の牧師達からも反対運動と迫害を受けた時ー大垣に度々来られ共に戦ってくださったこと、印刷物などを引き受けてくださったことを心から感謝いたします。思い出はつきませんが、御上京の時あるいは思い出の座談会でもあれば寄せていただきたいです。(1977.3.7)

 さらに別の資料(http://www.cty-net.ne.jp/~mmi/pdf/minojiken/pdf_minojiken.pdf)によると、山中為三氏は1943年(昭和18年)9月より投獄、1945年(昭和20年)1月栄養失調にて危篤となり、2月に刑の執行停止を受け療養所に移されて敗戦を迎えるとある。このすべての迫害生活を支えたのが、彼の「キリスト再臨」についての聖書知識であったことを覚えさせられずにおれなかった。ところが、一月ほど前に入手した『預言通覧』(首藤新蔵編)という明治39年出版の書物(総頁474頁)を昨日からひもときはじめたが、まさに山中為三氏の40数頁の本とその内容が同じであった。為三氏がこの本をルーツにしたのでないかとさえ思った。これも単なる偶然の出来事と言ってすませる問題であろうか。そこにはキリスト者の内に働かれる連綿とした聖霊の御働きを覚えるからだ。

 参考までに『預言通覧』の章立てを以下転写する。(『預言通覧』はブレザレンの創始者とも言うべきJ.N.ダービー氏の英文を主体に首藤氏が翻訳し、まとめたものである。文語体ではあるが、キビキビとした小気味良い文章からなる名文だと思う。)
第1章 預言を学ぶこと
第2章 我らの望み
第3章 世の運命
第4章 千年時代の到来
第5章 キリストと教会
第6章 過去および現在のイスラエル
第7章 イスラエル将来の回復
第8章 基督の再臨は千年時代の前
第9章 基督教の腐敗およびその結果
第10章 異邦人の時、滅亡期の異邦人帝国
第11章 末日のイスラエル、諸国
第12章 遺残者
第13章 イスラエルの回復は千年時代の発端
第14章 第一の復活
第15章 基督の千年の御宇
第16章 黙示録略解

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