2022年8月1日月曜日

一路、エルサレムへ

夕景色 下界の熱さ ものかはと※
さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。(マルコ10・32)

 勇敢なるイエスの御姿よ、真に英雄の死に赴く姿である。ヨハネ伝を見るとラザロをよみがえらせた事件はエルサレムの官憲をしていよいよ最後の臍(ほぞ)を固めてイエスを死刑に処する決議をなさせた。

 ラザロのためにベタニヤまで行くことすら弟子とトマスが『私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。』(ヨハネ11章16節)と言ったほどに危険であったのである。さればイエスはラザロをよみがえらせた後再びヨルダンを渡って荒野に近いエフライムという所に静かな時を送って何日かの間、十字架につき給う準備をせられた。

 その準備成って、今エルサレムに上るのである。善きサマリヤ人のたとえにあるところのエリコからエルサレムに上る道、険しい岩だらけの淋しい道、強盗の出没する山道を登り行かんとなし給う。あのたとえにある強盗に遭いし人と善きサマリヤ人とを兼ねたお心持ちで先づエリコへと急ぎ行き給うたのである。

祈祷
私たちのために善き隣人となってくださいました主イエス様、あなたは私のために善きサマリヤ人となられる前に、先ず私たちのために、代わって強盗に遭われなさって半殺しになられたたことを感謝申し上げます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著213頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。※お正月から始めさせていただいたマルコの福音書も早や七ヶ月が済み、今日から八月、折り返し点を過ぎ、すでに一月、残るは五ヶ月となった。青木さんの一年にわたるこの霊解もいよいよ冴え渡り、短文のうちにも霊的糧として十分なことを覚え感謝に堪えない。並行してクレッツマン、David Smith、A.B.ブルースの著作も併用させていただいている。何れ劣らぬ珠玉の霊解だと思う。今夕、古利根川を散策した折、見えた夕景色を記念に載せる。徒然草に「人の命は、雨の晴れ間を待つものかは」とあるようだが、永遠の御国を思うて主はエルサレムへ歩を進まれた。なぜか荘厳な夕空を仰ぎ、イエス様の決意を思うた。) 

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