2022年8月22日月曜日

エルサレム入城

さて、彼らがエルサレムの近くに来て。オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスは二人の弟子を使いに出して、言われた・・・(マルコ11・1)

 時はローマ建国紀元783年、ニサンの月の10日(太陽暦に換算して4月2日、日曜日)である。いつもすべてのことにおいて質素を好み、万事に地味であるイエスが最後のエルサレム入城を公式ならせるために、これを花々しくせられなければならぬ時が来たのである。

 一昨日(金曜)ベタニヤに着し、ラザロの家に入り、昨晩は(土曜)マルタから最後の饗応にあづかった。敏感なマリヤが彼にナルドの油を注ぎ、髪の毛でこれを拭い、おぼろげながらも主の『葬りの日』の準備をしたのはこの夕食の時である。

  今日は午前中静かに憩われて、正午ごろ同家を出でオリーブ山の麓まで来られたのである。エルサレムを眺めて慟哭(どうこく)されたのはここから少し進んで、この山の一角に立たれた時であろう。平和の君としてご自身をユダヤ国民の前に提供し、拒絶されて十字架につけられるのも僅か五日の後に迫って来た。

祈祷
イスラエルのために懇(ねんご)ろに教え、懇ろに思慮し、懇ろに計画し給いしあなたは遂に彼らの棄てるところとなられたことを惜しみます。しかし、翻って、自ら顧みれば私たちもまた同じ罪を繰り返しつつあることを悲しみます。主よ、願わくは、まだ遅くならないうちに悔い改め、私の君とし、王としてあなたを受け入れることができるようにさせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著234頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌131https://www.youtube.com/watch?v=8HFWyrRl31s

『聖書の黙想』26「あなたの王がおいでになる」より

 福音書の記者は四人とも、この物語を伝えている。イエスがその死に先立つ日曜日に、エルサレム入りされたことは、弟子たちにとって意味深いことだった。一行はその日の午前中にベタニヤを立って、ベテパゲに至った。

『受肉者耶蘇』41「エルサレム入城」より〈757頁〉

 先にエルサレム滞在中に、預言者が採用し、また民衆がこれを喜ぶ手段を踏襲されたが、今一度これを試みられることとなった。すなわち平生の本能を抂げて、熱狂する群衆の心にまかせメシヤとしての権威をもって彼らの面前に現れんとせられるのであった。預言のうちにラビの論争点となった問題があったが、意義の徹底しないために種々の解釈が施された。『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに』〈ゼカリヤ9・9〉の一句すなわちこれである。

 東洋においてろばは昔から美わしい動物であって、小馬の大きさで、往々贅沢な鞍や豊かな総、貝殻や銀の鋲で飾った轡を掛けて綺麗に装われるのである。而して偉大な人物が多くろばに乗った。イスラエルの士師ギルアデのヤイルには三十人の子があって三十のろばの子に乗ったとある〈士師記10 ・4〉。国王は戦場には馬に跨り、平和のときにはろばを用いた。而してこの古の教えにはシオンの王は平和の君なるが故にろばに乗って来られる〈ゼカリヤ9・10〉ものとしたのである。この預言は直ちにイエスに適用せられるものがある。故にイエスはその示される通りのメシヤの任務を全うせんと決せられて都城に入られることとなった。)


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