2022年9月2日金曜日

わたしの家(下)

そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と書いてある」(マルコ11・17)

 イエスは十二歳の時、初めて神殿に参拝して、直ちに意識したことは、それが『自分の父の家』であるということであった(ルカ伝2・49)。二十有余の星霜を経過したこの最後の日にも同じ感じが続いている。

 たといそれがサドカイ、パリサイの人々によって汚されているとしても、やはり親しみ深い我が父の家であり、我が家であった。山の上で神と交わるのもよい、海のほとりで父に祈るのも嬉しい。けれども人間が労力と金銭とを費やしてことさらに神の宮として建てたものはそれが誠意によってなされたのであれば、而して祈祷と断食とによって神に献げられたものであれば、そこは山上にも海辺にも見られない、『自分の父の家』『わたしの家』である。それは神を崇める心の結晶であるからである。

祈祷
天の父なる神様、あなたはあなたがお造りになった山川草木の中には御住みにならないで、私たちが心と手と足とを献げて作り建てる木と石との家を愛してこれを『わたしの家』と』とお呼びになることを感謝申し上げます。あなたを崇めようとする労働のあるところに、あなたの心もあることを感謝申し上げます。アーメン


(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著245頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌294https://www.youtube.com/watch?v=WFZBClhK1tE )

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