2022年9月21日水曜日

何も持たせず、送り帰した農夫

季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。(マルコ12・2〜3)

 このみことばは、ユダヤ人に対して神が預言者たちを遣わしたことを指すのはもちろんであるが、この『季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに』の語が私には恐ろしく響く。

 種を播く者は必ず収穫を期待する。天の父が私のような者にでも収穫を期待してくださるのはありがたいことではある。けれどもまた恐ろしいことである。

 私がこの世を去る時こそ『季節になって』父が何かを『受け取ろうと』為し給う時であろう。もちろん父は酷吏ではないから、無理な収穫は註文なさらない。しかし私の一生は『何も持たせないで送り帰した』という部類に入ってはいないだろう。

祈祷
神よ、私をあわれんでください。多くの年を経て今なお実を結ばざる私を。なおも憐みて収穫の日までに幾ばくかの実を結ばせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著264頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌511https://www.youtube.com/watch?v=1oeLkCIpRJA 

クレッツマン『聖書の黙想』〈187頁〉より

 季節になったので、彼は一人の使者を送り、自分の分け前を集めさせようとした。ところが、農夫たちはこの使者を袋だたきにして、から手で帰らせてしまった。続いて、送られた他の使者たちも、もっと手荒な扱いを受け、殺されたものさえあった。)

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