2022年9月14日水曜日

互いに赦す

セントジャイルズ大聖堂 2010.10.18※

だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。(マルコ11・25)

 イエスは私たちが互いに赦すことをよほど重要視された。イエスは正義を行へと教えたことはあまり多くない。が、互いに赦し合うべきことはたびたび教えている。

 主の祈りの中にも『私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました』と言う如く教えて、神様から自分の罪を赦されるためには、私たちが互いに赦し合わなければならないことを教えている。これほどに主は互いに赦すという事をキリスト者の社会道徳の中心点に置いている。

  完全な人間の造っている社会であれば正義さえ行えば立派に存立するであろう。が、不完全な人間の寄り合いである社会であるから、互いに赦さなければ立ち行くことは出来ない。キリストの十字架は神が罪人を赦す象徴であると同時に、人は互いに赦すように教える象徴である。

祈祷
天に在す私たちの父なる神様、願わくは、私たちに負債ある者を私たちが赦すように私たちの負債をもお赦し下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著257頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌82 https://www.youtube.com/watch?v=YZPZQGDpON8 

※12年前、この大聖堂で礼拝すべく堂内に入った。その証は2010.10.18のブログに記したとおりである。http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/10/blog-post_18.html 当時、そんな由緒ある聖堂とは知らず、入ったものである。堂内でメッセージを聞いていた者は私たち夫婦をふくめてごく少数であったことに驚いた思いがある。たまたま今週火曜日のベック兄の学びhttp://www.christ-shukai.net/は黙示録3・1から始まる「サルデスの教会」に対する主のことば「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」であった。まさにこの大聖堂はスコットランドのプロテスタンティズムの牙城ではなかったのか。エリザベス女王の国葬で話題にならなければ決して思い出すことはなかっただろう。異国の者にも自由に解放しているその精神には敬意を表したいが〈しかし、振り返ってみると、大聖堂は観光化しており、木戸銭を払って入場したのだった?〉、さりとて形骸化したキリスト教の害に多くの人が慣らされることのないように祈りたい。名だたるKing James Versionの聖書を眠らせてはならぬ。And when ye stand praying, forgive, if ye have aught against any: that your Father also which is in heaven may forgive you your trespasses. )

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