2022年12月14日水曜日

カルバリの丘

そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。(マルコ15・23)

 エルサレムの貴婦人たちが一種の慈善として死刑囚のために特に調合する習慣となっている強い香気ある麻酔剤である。他の二人の強盗はこれを飲んで苦痛から逃れたのであろうが、イエスは断然これを避けた。

 明瞭な意識をもって最後の一滴まで苦痛を味わいつつ死ぬ御決心である。ハッキリと父なる御神を見上げつつこの重大な御使命を果たし給うたのである。二人の盗賊は死んで行くのであるが。主は死を滅ぼしつつあり給うのである。

祈祷
死に勝ち給いし主よ、願わくは、私にこの勇気をお与え下さい。没薬を飲むことを避けて、苦痛の真髄を味わう勇気をお与え下さい。与えられた苦痛をごまかすことなく、回避することなく、杯の底の滓まで飲み干す勇気を私にお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著348頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌131https://www.youtube.com/watch?v=Goim6F0PTC0

今日は、先ず、クレッマン『聖書の黙想』から覗いて見よう。

 ついに運命の丘に達した。これ以上、名高い場所は二つとない。ゴルゴタ、つまり、「されこうべ」という所である。ここは都の門の外にあって、もちろん、処刑の場所として、よく知られていた。

 処刑される犯罪者には、はりつけの際のほとんど耐え難い苦痛を幾分か和らげるために、「没薬を混ぜたぶどう酒」と呼ばれる一種の麻酔薬を与えるならわしがあったが、イエスはそれを受けようとはされなかった。それは父が、飲むように授けたもうた杯ではなかった体。彼にとって苦難の杯を一滴も余さず、最後まで、ことごとく飲み干す以外に道はなかった。

一方、David Smithの『The Days of His Flesh』は以下のように語っている。引き続き引用する。〈同書邦訳〉

4 『エルサレムの娘』

 兵卒がシモンと交渉している間に、婦人らは、死刑の宣告を受けたもののため公然働くを禁じた律法を無視して、胸を撃ち、悲歌を歌ってイエスのために悲しんだ〈マタイ11・17、ルカ7・32〉。彼らの同情はイエスの聖意には美わしく思し召され、また慰めとなったことであろう。しかもこの究極の衰弱に陥られてもなおイエスはその当然の忠誠の心を失われなかった。その来るべき事件を予知して、彼らに『エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。なぜなら人々が「不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ。」と言う日が来るのですから〈ルカ11・27〜28、21・23〉』と仰せられた。

5 カルバリ

 行列はその進行を再び始めた。すでに十字架の重荷は取り去られても、衰弱されたイエスは独り自ら立たれることは不可能で、刑場に達せられるまで、負われて行かれる必要があった。この地上において最も悲惨にして、しかも最も神聖な場所はどこであったろうか。コンスタンティヌス大帝の『聖なる墓』の発見に伴って、伝説ではエルサレムの西部の地域と定められている。しかしその発見ははなはだ薄弱で、場所は市街の北部にあったものに相違はない。その名をゴルゴタ、すなわちラテン語ではカルバリと言い、されこうべという意味であった。而してその名には種々の註釈がある。ごく古い物語によればここにアダムが死んで葬られたからだと言っている。すなわち『死のこれを支配する地にイエスは勝利の記念碑を建てられたり』と聖ジェロームはこの古の物語を否定して、ゴルゴタとは処刑の場所としてこの所で髑髏の生ずるがためにその名があると主張している。しかし当今最も勢力を有する説は地形からその名が生じたと言うのであって、ゴルゴタは髑髏の形の丘であった。福音書の記事によって市外にあったことは明らかで、また市より程遠くはなかったと思われる。而してその場所は遠方からよく見えるので有名であって、かつその麓に街道が通じていた。現在ダマスコ門外に、以上の条件によく適った丘があってエレミヤの窟と称されている。

6 十字架の刑

 彼らがその刑場に達して、野蛮な事業に取りかかったのは九時であった〈マルコ15・25〉。十字架は最も恐ろしい刑罰である。元来は東洋の刑具であってローマ人はその敵であるカルタゴ移住者から学んだもので、ローマ市民を笞刑や十字架刑に処するのは、これを侮辱するものとして、ただ奴隷と属国の民にのみこれを適用した。この公然羞恥この上なき暴虐な侮辱が、この刑の恐れられる重大の理由であったけれども、ユダヤ人の眼にはこの拷問が苦痛の究極と思われ、またローマ人は苦悶の絶頂を言い表す場合に、Crux〈十字架〉から語を作ったCruciatus〈憂悶〉と言う字を用いるに至り、この語より英語のexcruciating〈同意〉が生じたほどにはなはだしいものであった。実に十字架は物凄い刑具である。

 Crux Simplexと言うのは棒杭に罪人を縛り着けて置く一本の柱で、Crux Conpacta と言うのには三つの形があった。すなわちXと英語のエックスなる文字の形を為せるをCrux Decussataと言い、聖アンデレがパトれにおいて斯くの如き十字架に釘いて殺されたと言うので『聖アンデレの十字架』と称せられる。Tと英語のテイの字の形をなせるはCrux Comissaと言い、聖アントニーの十字架と称せられる。第三は十すなわち日本字の十の形でCrux Imusissaと称せられ、横木の上に縦の頭が出ているのである。この第三の十字架が最も普通に行われたものと見える。

 而して刑囚はCruciarus(十字架に釘くものと)称せられ、まず第一にその衣服を剥がされて裸とされ、その衣服は役得として執行人の所得とせられた。次いで両手を広げ、横木に寄せて、その手は堅く両方の端に掌かあるいは手首の所で釘で打ち付けられた。しかし時にはその苦痛の時を伸ばすために縄で結んだこともあった。しかる後、その横木は戦慄する罪人を付けたまま縦木に引き揚げるのであって、体の重量で手の裂けるのを避けんがため、鞍のように足を載せて支えることとなっていた。時として手の如く足もまたただ縄で結びつけ、あるいは左右別に二本の釘で、あるいは左右重ねて踝の所を一本の釘で打ち止めることもあった。斯くして犠牲者は死生の間に彷徨しつつ苦悶するのであって、ことさらにその死期を早めなければ二日の間も生きているものもあった。

7 麻酔薬

 イエスは十字架の刑具に掛けられ給うたものと思われる。ユダヤには聖書の句に従って罪人が処刑を受けるにあたり、その感覚を鈍らすために薬品を調合したぶどう酒の贈り物を飲ます慈悲深き習慣があった。すなわち『強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ』〈箴言31・6〉と。かつエルサレムにはこの慈悲の贈り物を供えるためにその資金を寄付する上流社会の婦人の団体があった。聖手に釘を打つ前にその薬酒をイエスに勧めた。渇きに喉の焦げつくよう思し召されたイエスは、これを唇に付けられたけれども、それを味われるや、酒の種類を悟ってこれを排〈の〉け給うた。その単に苦痛を受けられる所に功績のあるかのようにこれを免れるのを拒まれたのでなく、また彼の『曇りなく神にその霊魂を託せんがため』眼を開いて死に会せんと欲せられたのみでもなかった。イエスはまだこの世になすべきことを有せられたからではあるまいか。その消え行く息で、罪人に赦しを与え、父の栄光を顕さんと欲せられたのであった。)

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