2022年12月16日金曜日

十字架(2)不幸な人に嘲弄濯がる

三つの十字架 レンブラント 1653年

「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て自分を救ってみろ」(マルコ15・30)

 神殿を打ちこわすという言葉が祭司らに如何に逆用されたか。民衆には『神殿』と宗教とが一つに思われていたし、エルサレム人には神殿の存在が彼らの生活の資料となっていたのであるから、イエスを陥れる好材料となったのであろう。

 さればイエスが十字架につけられた時も、エルサレム人はこの語をもってイエスを罵ったのである。もちろんイエスはご自身の肉体を指して『神殿』と言ったのであるけれども、それは彼らの関心するところではなかった。いつの時代でも宗教の形骸と宗教そのものとを混同する者が多い。また宗教によって衣食する者に、宗教を解する者は少ない。

祈祷
手にて造れる宮に住まれず、人の心の宮に住まれる主よ、願わくは私たちを形骸的宗教より救って、霊とまことをもってあなたを拝させて下さい。アーメン 

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著350頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌60https://www.youtube.com/watch?v=JEaS87zG3dc 歌詞が今日の青木さんの勧めにぴったりだ。

引き続いて、以下、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証

10 嘲弄

 この時イエスは十字架上に苦悶しておられた。二人の盗賊もまたその左右に十字架にかかっていたけれども、中央の十字架のみが人の眼を引いたのであった。祭司長たちは、その下に集まって、権謀術数の成功に雀躍しつつ、無知な賎民を扇動し、首を振ってイエスを罵詈した。嘲弄また嘲弄は柔和な不幸の人にそそがれた〈2列王19・21、詩篇22・8、109・25、哀歌2・15〉。『おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ』『他人は救ったが、自分は救えない』『イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれはそれを見たら信じるから』『彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。「わたしは神の子だ。」と言っているんだから』と罵るのであった〈マタイ27・26、ヨハネ19・29〉。兵卒は近く座して、救助がどこから出て来るかと十字架を注視していた。彼らは労働の時に奴隷や兵卒が飲料に用い、汗ばんで渇く場合に、これを飲むためにポスカすなわち酢の水の盃を持っていた。彼らがこれを飲んでいるとき、祭司や賎民が『王』と嘲るのを聞いて、十字架の下に来てその盃を差し上げ諧謔に『陛下』を祝しつつ飲んだ〈ルカ23・36〜37〉。

11 盗賊の悔恨

 その間イエスの耳に留められるべき一語も聞こえなかった。二人の盗賊は苦痛のために心乱れて司刑官の甘心を得て、その慈悲に預からんと考えたものか、同じくその嘲弄の語に合わせて同列の不幸の人を罵った。しかし不意にその一人は態度を変じた。彼は恐らくこの恐ろしい日の来るまでに、イエスに見〈まみ〉えたことはなかったのであろうけれども、この不思議な預言者の噂は山間の荒地に在る無頼の徒の耳にも達したに相違なく、また彼は『父よ。彼らをお赦しください』との祈祷を聞き、その柔和な顔に宿る威厳をも見たことであろう。彼の霊魂は畏敬の念に首垂れて罵ることをやめた。しかし頑迷な彼の相手はなお瀆神の語を続いて叫んでいた。『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え』と。この語を聞いて悔恨した賊は反駁して『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ』と窘〈たしな〉めた。

 而して後に『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』と祈った。これは無知と信仰とを接合した不思議な祈祷である。彼はイエスがユダヤ人の王メシヤなりと宣言されたということのみを知っていた。これその頭の上の板に記されているところであった。しかもなおその恩寵溢れる王者の威風ある不幸の人は渾身の信頼と尊敬とを奉るべき人物なるを認めたのであった。しかるにこの暗黒な手探るような信仰に、たちまち寛大な応答が与えられた。『まことに、あなたに告げます・・・・』とイエスはその憐れな暗い霊魂もなお悟り得るようなユダヤの語を用いつつ、慈悲滴る厚い待遇を与えて『あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』と彼の思いも掛けない恩恵を彼に授けられた。伝説によればこの強盗はその名を一人はテトスと言い、一人はダマスカスと言い、ヘロデ王の手から聖なる一家がエジプトに逃れられる途上で、これに会ったと称せられる。而してダマスカスは掠奪しようとしたけれどもテトスがこれを遮ったと言うのである。彼は聖母の腕に抱かれた驚くべき嬰児〈おさなご〉を見て、それを自ら抱き取って、懐かしげに『ああ、幸いなる小児よ、我れ恩恵を願う日来たらば、我を記憶せよ、この日ありしを忘れるなかれと』言ったと伝えられる。

一方、クレッツマンは『聖書の黙想』で、刑場に立たせられた主について、次のように記す。

 さて、私たちはイエスの処刑の理由として、十字架に記された文字を看過してはならない。それはだれにでも読めて、よく考えることができるように、三つの国の言葉で記されていた。

 「ユダヤの王、ナザレ人イエス」

 これが果たして罪なのか?

 頑強な反対に逢いながらも、その罪状書きは、そこに立てられ、今日もなお、彼が当然持つべき名誉ある称号として立っている。〈ヨハネ19・19〜22参照〉

 もし、イエスが左右を犯罪者にかこまれて「罪人たちのひとりに数えられた」としても、それは問題ではない。彼が神の御心に従っていつの日か、神の国で彼の右に座することのできるように、私たちの身代わりとなって立ってくださった場所がそこなのだ。人々が主を罵り、嘲ったという事実は、いったい、どれだけの意味があったろうか。詩篇22篇の預言の言葉によると、民衆や祭司や、少なくとも、十字架上の強盗の一人でさえも、いにしえの預言者が描いた絵の画面を完成させる一つの背景に過ぎなかったのである。)

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